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2007年11月に作成された記事

2007年11月25日 (日)

コーヒー820円

 今日、ちょっとリッチなランチでもと、某ホテルに寄りました。う~ん、ランチ2,000円か。ちょっと高いな、でもまあ、単品もあるだろうと、とりあえず入店。確かに、パスタは1,200円とか1,600円とか。が、しかし、当然飲み物も欲しいよね~。とメニューを見るとだ、コーヒー820円!!

 えっ?だって350円くらいじゃないの~!だってさあ、この日このホテルで「ポケモン何とか大会」ってやっていたのよ~!!そりゃあさ、ホテルもね、商売だから「ポケモン何とか大会」もやらないとね。でもさ、そうなったらもうコーヒー820円の風格ないよね。う~ん、どうも納得いかないな。普段は820円にしておいてもらって、「ポケモン何とか大会」やるときは350円にしてくれないかしら?もはや高級な雰囲気は無いぞ。

 で、ランチはどうしたかというと、結局、高級ベーコンのカルボナーラが1,600円だったのだけれど、それを選んで、サラダみたいのにパンとデザートとコーヒーがついて1,950円のランチがあり、それにしました。味は、うん、おいしかったですよ。

2007年11月24日 (土)

アホ・バカ分布

 雪が降りましたよ、ついに。冬ですね。そして今年もあっという間だったなあ。ってまだ振り返るには早い、11月だった。振り返るのは12月になってからにしましょう。

 そして、今日は日ハムパレードだったはず。見ていないけど。今年は駅前通りが工事中なので大通りだったみたいですね。でも、日本一にならないとちょっと盛り上がりにかけるかなあ・・・来年は梨田監督の元、頑張ってね~

 さて、さて今日の議題は「全国アホ・バカ分布考」。この間、ちょっと話題になったので、取り上げてみることにしました。ちょっとふざけたタイトルに見えるでしょ。でもバカにできないのです。柳田國男の「蝸牛考」、さらに言うと「方言周圏論」これが成り立つ場合があることを証明するものだったのです。。。。

 しかも、この本が出来上がったきっかけ、それは「探偵ナイトスクープ」。知っていますでしょう?テレビ朝日系深夜番組。かなりな長寿番組。深夜番組として誇り高く、決して安易にゴールデンにおりてこない。。。この番組、視聴者の素朴な疑問に、と~っても一生懸命に調査し回答する真摯な番組です。大笑いすることもあれば、二代目の西田局長号泣することもあり、でも基本的には小ネタ番組。だがしかし、侮るなかれなのであった。

 さて、「アホ・バカ分布」です。関西では「アホ」といいますが、関東では「バカ」と言います。この境界線ってどこかにあるの?この質問が探偵ナイトスクープに寄せられたのが始まり。

 そして、「アホ」、「バカ」表現というのはあまりにも深いのでありました、ジャジャーン。甘いよ、甘い、アホとかバカに類似する表現の多いこと、多いこと。番組では結局、バカという表現は東日本では東京から静岡、そして西日本では岡山から九州北部にあり、関西がアホ、愛知・岐阜は「タワケ」とかそんなレベルでした。さらに、この番組スタッフたちはどんどんやってしまうのです。全国市町村教育委員会へのアホもしくはバカに類似する表現アンケート!!

 そう、北海道だったら「はんかくさい」とか「タクランケ」とかね。まあ、最近は使わないけど、あります。そんな言葉がたくさん、来るわ、来るわ。アンケート回収率はかなりなものでした。皆さん、興味あったのですね。そして、なんとこの表現は決して北海道だけにあるのではなく、九州にもあったりするのです。まったくそのままというわけではないので、現代語に生きる我々では理解できなく、「古語」で考えると一緒だったりするのです。う~ん、「探偵ナイトスクープ」、本当に侮れないぞ。古語の勉強までさせられてしまうのね。

 で、この本は長いので(570ページ)、あまり説明しませんが、京都(文化の中心)から流行語が円周状態でどんどん地方へ広まり、それが地方に方言として残ったという「方言周圏論」という理論があったのですが、なんとこのアホ・バカでこれが証明されてしまったのです。バカがはじめに伝承されて行って、その他いろいろなアホ・バカ的表現がやはり円周状に伝承されていった。そして最新流行語であった「アホ」が京都で流行しだしたものの、それが全国に広まる前に、文化の中心が江戸に遷ってしまったということだった。そして、アホ・バカ表現は決して差別的な言葉ではなく、どこかに「愛すべき奴め」という意味を含んでいるということまでもこの本は証明しています。是非是非だまされたと思って読んでみてくださいませ。知的好奇心、かなり満足します。

2007年11月18日 (日)

モダンガール

 今日は久しぶりにゆっくりしようかなと思っていたら、何年かぶりに友人が来札したとのことで、呼び出しがありました。先週もばったり友人に地下鉄で会ったし、何かが呼んでいるのかしら?で、その友人は7回目の転職で12月までお休みらしい。う~ん、能力があるといつになってもどこにでも行けるのだなあ。そして、北斗星で来たとのこと。鉄道好きは変わっていないなあ。一度は乗ってみたい、北斗星。でも聞くと、カシオペアの方が車両も新しくてお勧めらしい。ただ、全部個室らしいので2人でないと乗れない。。。

 昨日はある学園の120周年記念行事に行ってきました。女子高校からが始まりで、「女子教育」のために私塾として始まったとのこと。そう、女子教育と言えば、何故「女子大」や「女子短大」があるのか?何故「家政科」があるのか?疑問に思ったことはありませんか?女性だから、家政科?う~ん、それって専門学校で教えた方がよほど現実的ではないかしら?と思ったことありませんか?

 実は「主婦」って、女性にとっての出世だったのですよね。

 斎藤美奈子「モダンガール論」。斎藤美奈子って、かなりな評論家です。鋭いし、本質をガンガンついて来ます。いわゆるフェミニスト系だけれど、あまり面倒くさくない。ああ、言っているとおりだよねって感じです。

 そう、江戸後期から明治まで、女性は「幼にしては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い」と教えられていたわけです。無学文盲を持ってよしとする。というわけで、「良妻賢母」は20世紀に入ってからの近代女性の望ましい姿だったのです。「新しい!」のですよ。それまでは、家のことに女性は口を出せなかった。子どもを生めば良いってわけ。

 「良妻賢母」はもちろん、外国からの輸入の思想です。そして、日清戦争のあたりから追い風となってきます。欧米の列強を見れば、国力のある国ほど「女子教育」に力を入れている。日本も負けてられない。ただし、もちろん女性に本当に仕事をさせようなんて思想は無いので、家庭内限定で女性を教育しようと。だから、女子大だし、だから家政科なのです。そして、昔の「主婦」は今の「主婦」とは違う。「主婦」といえば、大人数の家庭の家事を全部仕切るわけです。老舗旅館の女将だと斎藤美奈子は例えています。わかりやすい。しかも、電化製品なんてありゃしない。女中はいますけれど。そう、簡単ではないのです、家事労働。さらには女中をちゃんと使えないとならない。

 ところが、斎藤美奈子さんは指摘します。明治、大正時代に皆がそんな「主婦」になれたでしょうか?答えはNO。そんな豊かではありません、その当時は。残念ながら。

 そのころの多くの日本人は何であったか?貧しい農民か貧しい都市労働者。ホワイトカラー労働者なんてほとんどいないのです。そして、女の子の現実的な就職先は女工か女中だった。そして皆さん、女工といえば「女工哀史」。ね、考えただけで、悲惨でしょう。

 もう、読んでいくと結構つらいです。女子教育が言われだして、職業婦人も生まれて、でもそれは少数派。90%は女工か女中か、農村婦人。農村の嫁はもっと大変です。だって、人扱いされていないから。女工より大変ってどういうこと?って感じでしょう。だって、4時に起きて皆のご飯作って(もちろん、電気もガスもないからね!)、食事の後は、家族と一緒に農作業。昼は急いで戻って昼食の準備、休憩は2時間あり、他の人は休憩できるけれど、お嫁さんは鍋洗ったり、洗濯したり休む暇もない。そしてまた農作業です。夕食作って、片付けして、また掃除したりお風呂の準備したり、もろもろやって就寝できるのは12時過ぎ。水道だってないんだからね。

 そういうわけで、実は「主婦」って出世だったんだなと、変に感心しました。だから女子大ってできたのねと。男たちというか政治家たちはきっと、家庭限定で教育して良妻賢母を作ろうと思ったのだろうけれど、勉強をしていけばそれだけではすまない。ちゃっかりと女性たちは世の中を見て、視野を広げていった。もちろん進学できるのは一部の女性でしかなく、大半は厳しい世界にいたのだけれど。ただ、世の中は着実に変わる。そして、いつか「主婦」は本当に皆がなれる憧れの職業になったのだけれど、ほとんどの人がなれるものって、憧れのものではなくなってしまうのですよね。今度は価値は下がってしまうわけ。シロガネーゼじゃないけど、ほんとにお金持ちの奥様にでもならないと価値がない。でもそれって価値なのかしら?

 私はこの程度にしておきますが、斎藤美奈子はもっと手厳しいです。日本の近代から現代までは性別による役割分業制で成り立ってきた。男は外、女は中。でもさすがに現在、制度疲労を起こしつつある。終身雇用も立身出世も限界が見えている。今の女の子たちは何を目指せば良いのでしょう?でも、男の子たちも何を目指せば良いのかな?手本や見本はどこにあるのかな?それは自分で探すしかないのでしょう。

 斎藤さんの評論は痛快なのだけれど、最近はさすがに読んでいてつらくなってきた。そろそろ、「行動」をしないとならないのでは?批判も良いのだけれどね。評論家だからそれが仕事なのだろうけれど。でも、動かないとならないよね。もう、悩んでいても、他人のせいにしても仕方がないから、とにかく何かをやってみるしかない。ね、若者たち、大人を当てにしなくてもいいよ。君たちには力があるんだからさ。今日も浅田真央を見て、貫禄あるなと思った。まだ17歳なのに。そういうものよね。例え若くたって、世界で戦っている人は違う。そういうお手本はたくさんあるような気がする。

2007年11月11日 (日)

ヘアスプレー

 見てしまいました、「ヘアスプレー」。やっぱり、トラヴォルタですよ。笑っちゃいますよ。踊りうまいですよ。そして、クリストファー・ウォーケンが踊ってるよ~!しかも歌もうたっているよ~!ってこれまた笑っていたら、彼は実は「アニー・ホール」に出ているんですね。「ディア・ハンター」のイメージがあまりにも強くて、暗~いそして狂気なもしくはハードボイルドなイメージしかありませんでしたが、コメディーもいけるのですね。好きな俳優でしたが、いっそう好きになりました。でも、この映画の一押しはトラヴォルタです。お気に入りリストの上位にランクインさせました。(特殊メイクは大変だっただろうなあ・・・)

 1960年代が舞台なのですが、50年もたっていないけれど、「人種差別」が遠いものではなかったのだなあともちょっと考えさせられた映画でもありました。でも、今だって差別が無くなったなんて言えないのですよね。もっともっと能天気な映画なのかと思ったのですが・・・

 そして昨日は、糸井重里の「オトナ語の謎」を買いました。笑いました。そして、使っています。もう、当たり前に「オトナ語」を使っている自分に気づいて大笑いです。「アンドをとる」とかね。語源も知らずに使っています。以前から使いながら謎だったんだよなあ。アンドって何?and?それとも安堵?まさかね。

 「席をはずしております」「出先まで追いかけましてすみません」とか。オトナ語だったんだあ。「オレ、頭悪いからさ~」使いますよ。使います。だって、あなたの説明よくわからないのですもの。「もっとわかりやすく説明してよ~」って言えないですよ・・・

 オトナは大変なのだった。でも笑えるのだった。「笑い飛ばす」ことは大切です。

2007年11月 4日 (日)

小沢さん

 小沢さんって、小沢一郎さんのことです。小沢健二さんとか小沢征璽さんではありません。何があったのでしょうね?どうして「大連立」なんて考えるのでしょう。まだ何にもやっていないのに。民主党が参院選で勝ったのはなぜか?それをわかっていないのかなあ・・・「ねじれ」、「ねじれ」ってやる前からどうしよう、どうしようって大騒ぎしているけど、やってみてから考えればいいのになあ。よくわからないなあ。

 だってさ、政治家のおじ様たちは「夫婦別姓」には大騒ぎして論争して、結局「夫婦別姓」は認められなかったけど、自衛隊の海外派遣とかはぜんぜん論議しないのよね。「自衛隊」のようなことこそ、論議が大切だと思うのだけど。結果がどちらに決まろうと、プロセスが大切よね。「納得性」の問題だもの。今日もピアノの先生が結婚するという話をしていて、名前変えるかどうするか悩んでいました。仕事上では今までの姓がいいけど、生活上は変えないと面倒とかね。別に各家庭で選べてもいいのではないかな。結婚後も仕事を続けている女性は仕事上では旧姓使っている人が多いし。おじ様たちはあまりわかってくれていないよね。実態を。

 そうそう、実態といえば、札幌で鹿が街中に出没したので、保護してどこかに放そうとしたけど、結局死んでしまいました。かわいそうだったけど、まさか全国ニュースになっているとは思わなかった。鹿だって出るさ。だって近くにいるんだもん。熊だって出るよ。生で見たことはないけどさ。マスコミ人は生活感無くしていない?何かそういう人が多すぎる気がするな。皆さん、ちゃんと生活しています?政治家とマスコミの皆さん。空気を感じている?春の土の香りをかいでいる?秋の空の高さとか見ている?紅葉みている?葉っぱが風で落ちてくるの見ている?それとも東京ではそんなことも感じられないのかしら?

 でも、すみません、昨日鹿肉食べました。意外においしかったです。阿寒の鹿でした。

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