今日は久しぶりにゆっくりしようかなと思っていたら、何年かぶりに友人が来札したとのことで、呼び出しがありました。先週もばったり友人に地下鉄で会ったし、何かが呼んでいるのかしら?で、その友人は7回目の転職で12月までお休みらしい。う~ん、能力があるといつになってもどこにでも行けるのだなあ。そして、北斗星で来たとのこと。鉄道好きは変わっていないなあ。一度は乗ってみたい、北斗星。でも聞くと、カシオペアの方が車両も新しくてお勧めらしい。ただ、全部個室らしいので2人でないと乗れない。。。
昨日はある学園の120周年記念行事に行ってきました。女子高校からが始まりで、「女子教育」のために私塾として始まったとのこと。そう、女子教育と言えば、何故「女子大」や「女子短大」があるのか?何故「家政科」があるのか?疑問に思ったことはありませんか?女性だから、家政科?う~ん、それって専門学校で教えた方がよほど現実的ではないかしら?と思ったことありませんか?
実は「主婦」って、女性にとっての出世だったのですよね。
斎藤美奈子「モダンガール論」。斎藤美奈子って、かなりな評論家です。鋭いし、本質をガンガンついて来ます。いわゆるフェミニスト系だけれど、あまり面倒くさくない。ああ、言っているとおりだよねって感じです。
そう、江戸後期から明治まで、女性は「幼にしては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い」と教えられていたわけです。無学文盲を持ってよしとする。というわけで、「良妻賢母」は20世紀に入ってからの近代女性の望ましい姿だったのです。「新しい!」のですよ。それまでは、家のことに女性は口を出せなかった。子どもを生めば良いってわけ。
「良妻賢母」はもちろん、外国からの輸入の思想です。そして、日清戦争のあたりから追い風となってきます。欧米の列強を見れば、国力のある国ほど「女子教育」に力を入れている。日本も負けてられない。ただし、もちろん女性に本当に仕事をさせようなんて思想は無いので、家庭内限定で女性を教育しようと。だから、女子大だし、だから家政科なのです。そして、昔の「主婦」は今の「主婦」とは違う。「主婦」といえば、大人数の家庭の家事を全部仕切るわけです。老舗旅館の女将だと斎藤美奈子は例えています。わかりやすい。しかも、電化製品なんてありゃしない。女中はいますけれど。そう、簡単ではないのです、家事労働。さらには女中をちゃんと使えないとならない。
ところが、斎藤美奈子さんは指摘します。明治、大正時代に皆がそんな「主婦」になれたでしょうか?答えはNO。そんな豊かではありません、その当時は。残念ながら。
そのころの多くの日本人は何であったか?貧しい農民か貧しい都市労働者。ホワイトカラー労働者なんてほとんどいないのです。そして、女の子の現実的な就職先は女工か女中だった。そして皆さん、女工といえば「女工哀史」。ね、考えただけで、悲惨でしょう。
もう、読んでいくと結構つらいです。女子教育が言われだして、職業婦人も生まれて、でもそれは少数派。90%は女工か女中か、農村婦人。農村の嫁はもっと大変です。だって、人扱いされていないから。女工より大変ってどういうこと?って感じでしょう。だって、4時に起きて皆のご飯作って(もちろん、電気もガスもないからね!)、食事の後は、家族と一緒に農作業。昼は急いで戻って昼食の準備、休憩は2時間あり、他の人は休憩できるけれど、お嫁さんは鍋洗ったり、洗濯したり休む暇もない。そしてまた農作業です。夕食作って、片付けして、また掃除したりお風呂の準備したり、もろもろやって就寝できるのは12時過ぎ。水道だってないんだからね。
そういうわけで、実は「主婦」って出世だったんだなと、変に感心しました。だから女子大ってできたのねと。男たちというか政治家たちはきっと、家庭限定で教育して良妻賢母を作ろうと思ったのだろうけれど、勉強をしていけばそれだけではすまない。ちゃっかりと女性たちは世の中を見て、視野を広げていった。もちろん進学できるのは一部の女性でしかなく、大半は厳しい世界にいたのだけれど。ただ、世の中は着実に変わる。そして、いつか「主婦」は本当に皆がなれる憧れの職業になったのだけれど、ほとんどの人がなれるものって、憧れのものではなくなってしまうのですよね。今度は価値は下がってしまうわけ。シロガネーゼじゃないけど、ほんとにお金持ちの奥様にでもならないと価値がない。でもそれって価値なのかしら?
私はこの程度にしておきますが、斎藤美奈子はもっと手厳しいです。日本の近代から現代までは性別による役割分業制で成り立ってきた。男は外、女は中。でもさすがに現在、制度疲労を起こしつつある。終身雇用も立身出世も限界が見えている。今の女の子たちは何を目指せば良いのでしょう?でも、男の子たちも何を目指せば良いのかな?手本や見本はどこにあるのかな?それは自分で探すしかないのでしょう。
斎藤さんの評論は痛快なのだけれど、最近はさすがに読んでいてつらくなってきた。そろそろ、「行動」をしないとならないのでは?批判も良いのだけれどね。評論家だからそれが仕事なのだろうけれど。でも、動かないとならないよね。もう、悩んでいても、他人のせいにしても仕方がないから、とにかく何かをやってみるしかない。ね、若者たち、大人を当てにしなくてもいいよ。君たちには力があるんだからさ。今日も浅田真央を見て、貫禄あるなと思った。まだ17歳なのに。そういうものよね。例え若くたって、世界で戦っている人は違う。そういうお手本はたくさんあるような気がする。