さかなクンと魔法使
昨日出かけようとして仕度をしながら、何の気なしにTVをつけたら、さかなクンが出ていました。NHKかNHK教育かな?小学校に有名人が行って授業するみたいな、そんな感じの番組でした。もう終わりの方でしたが、「自分がドキドキすること」というようなタイトルで作文を書いてもらうということをやっていました。
で、さかなクンってやっぱりいい人なんですよね!あの甲高い声とハイテンション。かなりなさかなオタクで、ちょっと引いちゃいそうですけど。でも、彼の「さかな」に対する純粋で熱い想いに、我々は感嘆して尊敬してしまう。その彼が小学生たちにどう接しているかというと、本当に優しいのです。意外と自分の思いを表現するのって、難しいのですよね。特に今の子どもたちは苦手なのではないかな?「好き」とか「嫌い」とか「ウザイ」っていうような単純な思いではなくて、もっと自分の心の奥にあるもの。自分でも意識しているようなしていないような感情。大人でも難しいですよね。それをさかなクンは、一人ひとりに具体的なシチュエーションをイメージしてもらいながら、そのときの感情を思い起こしてもらおうとするのです。ちゃんと、一人ひとりの子どもたちに向き合うし、とにかくほめる!そして優しいですね。
どう考えても彼がいわゆる「生き馬の目を抜く」ような生き方をするとは思えないし、お金儲けをするとも思わないけれども、今の日本人が彼を好きな理由がなんかわかりますね。彼を損なうようなことをしてしまったら、日本の終焉も近いですね。
さて、この間ポール・ギャリコ(Paul Gallico)「ほんものの魔法使」"The Man Who was Magic"を見つけて読みました。久しぶりにまだ読んでいないギャリコの本を発見です。おとぎ話風でした。アダムが魔法都市として有名なマジェイアに行って、魔術師として認めてもらおうとするのですが、マジェイアの魔術師たちはタネも仕掛けもあるいわゆるマジシャンであるのに対し、アダムは実は本当の魔法使なのでした・・・
ギャリコは弱いもの、虐げられた子どもたちや動物、にはとても優しい目線を持っているのですが、同時に大人たちのずるさや貪欲さを厳しく風刺します。タネも仕掛けもある魔術師たちは、もしかするとタネも仕掛けもないかもしれないアダムに脅威を感じ出します。そして・・・・
アダムは単に皆で自分の力を分かち合いたかっただけでした。全然それでお金をもうけようとか、権力を得ようとか、そんな考えはまったくなかったのに・・・・
マジェイア市長の娘で、家族から虐げられていたジェインに、アダムが「自然の魔法」について語るシーンは、とても心優しい場面です。魔法ってそんなに特別?今まで存在していなかった子馬が、今ここにいて、生き生きと走り回っているのは何故?牝牛はミルクを生み出し、それがバターやチーズになる。これこそ魔法でなくていったい何?そして、ジェインは大切なものを得るのです。
さかなクンを見ながら、アダムを思い起こしてしまいました。その単純さと純粋さ。大人たちはいろいろな策を弄するのですが、結局は純粋さにはかなわないのです。どんなに策を弄してお金を得たとしても、心の平安を失ってしまったら、何もならないのです。
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