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2008年3月に作成された記事

2008年3月29日 (土)

王様の耳はロバの耳

 あれはたぶん10年くらい前だ。今でも印象に残っている。会社の研修で講師が言った。「役職があがるにつれ孤独になると思いますが、その孤独を乗り越えて行ってください。」

 そう、人は年齢を重ねるにつれ、役職があがるにつれ、孤独にならざるを得ない。大人になるってそういうことなのだ。耐えなければならないこと、非情にならなければならない時がある。

 と、頭で理解していても、気持ちがついていかないことがある。特に「人」に関わることで決断しなければならない時は、その非情さが極めてつらく感じる。結局、自分では何の権限もなく、でもそれを伝えないとならない、「反対だ」と意見は言えても、それは意見に過ぎない。

 確かに長い目で見ればもしかしたら、その「決断」は正しいのかもしれない。ただ、「駒」のように人を動かすことが時々耐えられない。ただ、そんな風に考える自分自身が甘いと言われれば、その通りなのだろう。大義の前には小義は捨てなければならない。だが、それを受け止められない弱い自分がいて、消化しきれないのだ。

 本屋にはいろいろな本があり、「品格」について語ってくれていたり、「いい人」になるための本やら、「前向きに生きるための本」があったりする。その本を否定するつもりは無いが、あまりにも「正論」を書かれると、「それで?」と言いたくなってしまう。そうだよ、そりゃあそうさ。いつも難しい顔をせずに明るい顔していた方がいいに決まっているさ。でも、そんな気持ちになれないときはどうすればいいんだよ! 

 きっと、人は浮かぶためには、落ちないとならないのだ。落ちて、落ちて、落ちきってしまえば、浮かぶしかないのだろう。

 誰かに愚痴を言いたいけれど、それはある意味甘えでしかない。しかし、耐えられないから、このようにブログに記載して、自分を慰めるわけだ。「王様の耳はロバの耳」ってね。

 そういえば、本屋で「赤毛のアン」生誕100年って飾っていたな。ふ~ん、そうなんだ。あれは100年前なんだ。驚きだ。30年前~25年前にシリーズを全部読んだが、感覚的にはそんな古いとは思わなかった。でも、最後のシリーズでは第一次世界大戦に関わる記載もあるから、そうなんだなあ。

2008年3月23日 (日)

1973年!!

 先日、カラオケに行ったのです。1965年生まれと1970年生まれと1973年生まれの3人で。1968年オリコンメドレーからどこまで歌えるか?とやってみたわけです。このときは1985年まで歌ってみました。

 1968年はね~~さすがに1965年生まれの私も半分以上はわからないのです。そして、演歌っていうかムード歌謡っていうか、全般的に暗い音楽。まあ、言ってみればマイナーな感じかな。そしてまた歌詞が暗い!男に棄てられた女とか、男に振り回されている女みたいな・・・何か「淫靡」というか、男女間のドロドロ系です。それが1972年まで続くのです。なんだこの暗さは?って感じです。

 ところが1973年になると、突然変わります。何か明るくなるのです。ようやく元気が出ます。そして、歌える歌が増えてくるのです。さすがに1973年生まれには厳しかったようですが。65年生まれと70年生まれはようやくホッとした感じです。

 でも、私たちの疑問。何故、1973年から変わったのでしょう?これが疑問でした。この時代には何があったのでしょう?

 ちょっとネット検索をしてみると、1970年代始めからいわゆるニューミュージック系の人たちがデビューしだしているのですね。松任谷由美(荒井由美)とか吉田拓郎とか、井上陽水とかね。あと、新御三家(西条秀樹、郷ひろみ、野口五郎)、中三トリオ(山口百恵、桜田淳子、森昌子)などのアイドルが台頭してきます。キャンディーズも1973年デビューですし、フィンガー5も1973年です。このあたりで音楽シーンが変わってきたのでしょうか?ビートルズの日本公演も1966年ですし、日本の音楽が少しずつ変わりだし、その変化が目に見え出したのが、1973年だったのでしょうか?

 カラオケメドレーで遊んでいただけなのですが、意外な傾向がわかるものですね。1973年から明るくなりだし、1980年になると、いよいよアイドル歌謡全盛期に突入します。先日はきりが無いので、1985年で終わらせましたが、1990年、2000年でまた変わっていくのでしょうね。1965年生まれの私は、1980年のアイドル全盛期の頃高校生となり、ラジオで洋楽を聞き出すようになりました。渋谷陽一の番組でEarth,Wind&Fireを聞きだしたのがきっかけかな。ビリー・ジョエルを聞き出したのもこの頃ですね。

 1984年あたりになるといよいよMTVが始まります。マイケル・ジャクソンなんかはMTVの申し子ですよね。1980年代はアメリカンポップの全盛期。全世界で流行りましたよね。マドンナとかシンディ・ローパーなんかもそうですね。あとはブリテッィシュロック?という定義で良いかはわかりませんが、The Police、The Style Councilなんかもよく聞きました。でも、イギリスのMTVの申し子はやはりボーイ・ジョージのCulture Clubかもしれませんね。1980年代のミュージックシーンは洋楽なくしては語れないような気がします。

 1990年代後半というか特に1998年の宇多田ヒカルの登場あたりから、2000年代に入ると、いわゆるJ-POPというジャンルが台頭します。今でいうとコブクロとかEXILEとか、平井堅なんかも含めていいのかなあ。浜崎あゆみなどもこの中に入ってくるかと思います。はっきり言ってもう洋楽なんか目じゃないぜ!ポップス、ロック、ヒップホップ、ラップなどなど、様々なジャンルで様々なグループや歌手が、本当に良い曲を作っている。全然、世界に通用するし、だからもはや日本で外国の曲が1980年代ほどにはヒットしていない気がします。せいぜい、最近では「恋のマイアヒ」くらいですかね。あれはノマネコのおかげで売れたような気がするから、ちょっと例外かな。

 と、カラオケで考える日本の近代音楽史なのであった・・・でも、演歌もカラオケで歌うのは気持ちがいいのだけれど(今になってみると八代亜紀の「舟歌」なんて良いなあと思う)、ここ最近は、良い「演歌」を作詞作曲できる人がいないのでは?演歌もシンガーソングライター化しないとならないのではないかしら?ところで、ジェロって自分で歌作っているのかな?

またまた世界フィギュア

 またしても、世界フィギュア2008の話題を・・・

 真央ちゃん、金メダルおめでとう!そして、高橋大輔くんは残念でしたね。でも、ちょっと思ったのです。周りがメダル、メダルとか騒ぐけれど、所詮それは結果でしかない。大切なのは何かってことです。

 荒川静香さんがトリノ五輪で見せた演技。イナバウアーは採点においては、別にポイントになるわけではない。でも、荒川さんは、たぶんフリーの演技全体構成の中であのイナバウアーが必要だと、こだわったのでしょう。観客に感動を与えるため、自分が納得して滑るため、それにはイナバウアーが必要だったのです。それは、メダルを取るための計算ではなかったはず。

 伊藤みどりさんが、1988年カルガリ五輪でフリーの演技中ガッツポーズをしてしまったほどの集中力。前代未聞ですよ!だって、オリンピックでフリーの演技中に、トリプルジャンプを飛び終わった後、ガッツポーズしているんですよ。解説者、大爆笑です。20年前にすでに6種類のトリプルジャンプを完璧に飛び、トリプルアクセルすら飛んだ女子選手。あのスピード、高さ、切れ。今の選手と比較しても、全く引けをとりません。それどころか、たぶん今でも、伊藤みどりさんのジャンプにかなう人はいないかもしれません。みどりさんはあの当時あった「コンパルソリ」や「芸術性」の壁で、なかなかメダルをとることはできませんでした。でも、あの会場との一体感、演技が終わった後のスタンディングオベーション。あれだけ会場を味方につけて滑っていた選手はいないように思えます。どんなに優雅に滑っても、カタリーナ・ビットの演技も、伊藤みどりの後では霞みました。あれは、まさしく伊藤みどりワールドだったわけです。メダルなんて関係ない。会場は完全に伊藤みどりの味方でした。当時の採点方式であった技術点と芸術点。観客は技術点では拍手喝采、芸術点の結果を見てブーイングだったわけです。もちろん、芸術点の低さに対し、ジャッジに文句を言っていたのです。

 真央ちゃんがまさかのトリプルアクセルの踏み切りでの転倒。どんなにショックだったことでしょう。頭が真っ白になってもおかしくありません。それを持ち直し、綺麗に丁寧にそしてしっとりと演技を続けました。フリーの後、泣いていましたが、採点結果でショートプログラムとフリーの合計で1位になった時の驚いた顔。良かったですね。

 だから、そういうことです。高橋選手も安藤美姫選手も、所詮メダルなんて結果なんですよ。あなたたちがどう表現できるか?観客にいかに感動を与えられるか?それです。感動すれば、国を超えて皆応援してくれるのです。伊藤みどりさんが会場と一体感になったあの感動。テレビで見ているこちらも感動でした。今回のイエテボリでも真央ちゃんの転倒に対して、がんばれ~というような暖かい拍手や、演技後の拍手はすごかったですね。真央ちゃんにとっては少々納得いかなかったかもしれませんが、でも、諦めなかったこと、持ち直した精神力があの金メダルなのでしょうね。金メダルをとるために演技しているわけではないのです。感動を与えるため、自分のために滑っているのです。

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 昨日、友人を訪問するのに、お花を買いました。その花屋さんのディスプレイです。綺麗だったので、写真を撮らせてもらいました。ちょっとゴージャスですね。花屋さんがちょっと高級感のあるところだったので、全体的に暗く、お花にスポットライトが当たっているので、写真を撮るには難しかったです。春だから、スイートピーとか買って部屋に飾りたいけれど、あまり部屋にいないしなあ・・・昨日は、緑のカーネーションがあることを知って驚きでした。

2008年3月20日 (木)

真央ちゃんと美姫ちゃん

 そう、フィギュアスケートです!!世界フィギュアが始まりましたね。世界フィギュアのサイトを見ていたら、昨年のコラムかなにかの中で、浅田真央はそよ風のような完璧な演技をするが、「生き生きとした血」が感じられない、対して安藤美姫は、色気があって女っぽくって、自分はどちらかというと安藤美姫に軍配を上げてしまうとあった。

 そう、確かに、安藤美姫は女っぽい。そしてセクシーだ。だが、4回転という武器を持ち、容姿に恵まれ、実力もあるが、いまひとつ安定しない。それでいて、その不安定さや脆さが、何故か人を魅きつける。その「不安定さ」が彼女の最大の魅力ではないだろうか。今回も大会直前にSPの曲を変えるということを行っている。何かを模索し、常におびえている。セクシーでいながら同時に堂々としたといってもいいあの体型にも関わらず、安藤美姫からは常に「不安感」を感じる。

 一方、浅田真央である。華奢で手足が長く、しなやかに氷上で舞う。折れてしまいそうに細い。動きに無理を感じない。しかし軽やかにトリプルートリプルやトリプルアクセルを決める。しかもまだ17歳である。なのにだ、彼女には「貫禄」がある。浅田真央はたぶん「天才」というのにふさわしい。今日テレビで放映されたSPの演技の後、彼女からは「風格」すら感じられた。真央ちゃんと呼ばれていても、彼女は孤高の人なのだ、と私は思った。そして、私は浅田真央に軍配を上げてしまうのだ。

 キム・ヨナがまだ体調が万全ではないようですね。SP1位のコストナーは確かに手足が長く、ダイナミックな演技だったけれども、私は真央ちゃんとキム・ヨナが今の女子シングルのトップにいるような気がする。どちらもにも共通する「やわらかさ」と「情感」、それでいてスピードがあり、ジャンプには切れがある。コストナーの演技にはまだ「細やかさ」が足りない気がする。真央ちゃんとキム・ヨナは体型まで似ているけれど、二人で切磋琢磨してほしいなあと思う。

 と言いつつ、私は結構、中野友加里も好きである。なんというのかな?今まで陰に隠れながら、だけれども、淡々と実力を磨いてきた、そんな印象がある。ぎらぎらしていなくて自然体、自分をことさらに主張することなく、でもどこかお茶目な感じ。着々と実力を伸ばしてきたように見えます。ドーナツスピンはやはりキレイ!是非明日のフリー(って実はもう今日?)では上位に食い込んでほしいなあ。

 キム・ヨナの体調が心配ですが、フリーではアジア勢でまた上位を占めてほしいなあ、なんて。これってつまらないセクショナリズムかしら?

2008年3月16日 (日)

コアラをもらいました

Image035  コアラって本物ではないですよ。小さなマスコットです。ピアノの先生が新婚旅行で(って2回目らしい・・・)オーストラリアに行ったので、おみやげをもらいました。異常気象であまり暑くなかったそうです、ゴールドコーストは。でも、いいなあ。海外生きたいなあ。最近、海外旅行に行かなくなってしまったし。やはり、次の目標はイタリアだな。もしくはトルコだ。

 気分が良かったので、バッグを2個買いました。バッグは毎年3個は買っているなあ。着々と増え続けているけれど、結局、満足しないのよね。だから、毎年買っている気がする。いつだったかも、会社の上司が「女房がバッグを買ってくれっていうんだけど、あんなにたくさん持っているのになんで欲しいんだろう?」って言っていた。そうなの、そういうものなの。いくつあっても、毎年買うものなんです!と主張したら、そう、毎年買っているんだよ、と納得していた。これは女性にしかわからないだろうなあ。靴とバッグは買うよね。今回も可愛さで結局買ってしまったが、機能的にどうなのかが、やや心配。それにしても、使っていないあの大量なバッグはどうしたらいいのだろう?デザイン的に古いものはもうどうしようもないだろうなあ。

 街はびっくりするくらい雪解けが早い。あの大量の雪がいつの間になくなったのだろう、毎年思います。でも、何かが変わる、なにかがまた始まるって感じがして、なんとなくわくわくするよな、ちょっとドキドキするような、そんな季節です。お正月を迎えるのとはまたちょっと違う。それは、卒業式、入学式シーズンでもあり、年度が替わるからなのでしょうね。ちょっとした変化がある季節。嬉しいような、でもなんとなく寂しいような。ただ、やはりワクワク感です。「春」が待ち遠しいからかもしれません。年度の切り替えを9月にしようという動きもあるようですが、それがいいことなのでしょうか。確かに全世界的には9月入学というのが多いのであれば、その方がいい?でも、欧米社会だけではなく、ちゃんと調べた方が良いですよね。ただ、すでに各企業は通年採用も始めているので、9月に新入社員が入ってくるケースもあるのです。意外と変化は早くて、いろいろなところで必要に迫られ、小さな変化は簡単に起こっているのです。制度を完全に変えようという動きのほうが遅いし、そんなことはこだわることではないのかもしれません。大局を見ることも大切ですが、小さな事象をちゃんと確実に見ていないと、いろいろなことから置いていかれるのでしょう。でも、小さな事象だけしかみることができないのも危険です。小さな事象をたくさん見つけて、その意味すること、本質をつかみ、大局に積み上げていかないとならないのでしょう。ってよくわからないこと言っているなあ。

 中野友加里がさっきジャンクスポーツに出ていて、世界フィギュアの応援よろしく!って言いながら、彼氏も欲しいからよろしく!だって。笑えるなあ。しかも、玉木宏から猫ひろしまでが許容範囲だって!本当か?(たぶん、猫ひろしはリップサービスだ) 私だったら、誰かなあ。やはり、James Woodsからなだぎ武か。でも、なだぎはまあまあ良い男だな。う~ん、っていうと最近のお笑いで好きなのは誰だっけな。世界のなべあつも良いなあ。インパルスの板倉も、千原ジュニアもいいなあ。って、ばらばらだ。でも結構ルー大柴も好きです。

2008年3月15日 (土)

もろもろのこと

 新銀行東京が話題ですよね。その話題にしようかなあと思いつつ、でももっと明るいテーマがいいなという気もする。でも、とりあえず、慎太郎さんについて語ってみる?

 ニュースしか見ていないので、断片しかわからないけれど、どうも本筋の話になっていないよね~ だってさ、お金を借りるのが厳しい中小企業を救済するために作った銀行ですよね。普通の銀行や信金や信組からお金を借りられないような中小企業を助けるための銀行だったのでしょう。だから、「リスク」なんかありありで、お金も貸すけれど、口もだすぐらいの本気度が必要だったのですよね。そして、結局累積赤字が1016億円。赤字はちょっとありすぎだけれど、救済できて軌道に乗り出した企業はあったのかな?とんでもない赤字は出すわ、企業は救えていないわっていったら、追加融資なんて論外だよね。

 責任問題がどうこう言う前に、新銀行東京はどういうミッションで、どういう人材が必要なのか?追加融資400億円でどこに行こうとしているのか?論議しているのかな。自分はジュリアス・シーザでもアレキサンダー大王でもないと言った慎太郎さん、まあ、確かに違うわな。あなたがシーザーやアレキサンダー大王だったら、こんな事態になっていないものね。単なる頑固、わがまま親父に見えるんだけれど、都民からは人気あるのよね。なぜかしら?東京都民はすご~く我慢して生きているのかもね。言いたいこといえずに、我がまま言えずに。だから、自分の代わりに我がままホーダイな慎太郎さんを支持するのかも・・・

 でだ、何か明るい、面白い話題は無いかしら?う~ん、思いつかないなあ。

 中田翔は残念ながら開幕2軍だし。ピッチャーは高卒でも1年目から活躍するけれど、バッターは難しいよね。でも、がんばって欲しいな。後はマー君のコマーシャルが始まったことくらいかな。(って本業ではないぞ)そういえば、ハンカチ王子こと斎藤君の話題を最近聞かないなあ。大学野球もまだ始まっていないからか。やはり、プロのほうが取り扱われ方が上だよね。ただ、斎藤くんはいい男だからなあ。でも、私はマー君派だ。何で日ハムに入ってくれなかったんだ~(ってまだ言っている)高卒ルーキーは地元球団優先にしても良いのではないかしらね?盛り上がるんだし。

 そうそう、ビーチバレーの浅尾美和と西堀健実のペアって、世界ランキングで20位台なんだものね。結構露出度高いから、日本では一番強いのかと思っていたら、国内でも4位以下で、北京五輪に出られるかどうかわからない。そういう意味では大変だなあ。タレント業兼ビーチバレーっていうのも。ただ、ビーチバレーだけやっている人からすると、「負けられない!」なのでしょう。皆さん、がんばってください。ロス五輪の頃(古い!)、まだ日本のバレーがかろうじて強かった頃は、バレーよく見ていたのだけれど。三屋さんとか江上さんとか活躍していたよね。海外は中国の郎平とかね。今はなんとアメリカチームの監督ですよ。すっかり、日本のバレーは勝てなくなってしまったな。やはりパワー不足かな。面白いんだけれどね、バレーボール。是非強くなって欲しい!!

2008年3月 9日 (日)

道徳を考えてみる

 今日は最高気温が10℃!昨日から春を感じますね~ 昼間歩いていると、頭の中を♪は~る色の汽車に乗~って♪というフレーズが流れていきます。もちろん松田聖子の物まねしながら・・・・ってできないけど。頭の中なので完璧に真似しています。ただ気をつけないと、声に出して歌っちゃいそうなので、変な人に思われないようにしなくては・・・

 なんとなく「道徳」を考えちゃおうかなあと。「道徳」を教科にしようという話がありますね。最近の世の中は「正義」が尊重されなくなっているとか、最初から「自由」だから、皆が「規範」がわからなくなっているとか、そんなことが言われているようです。でも、それって危険だなと思うのです。そう言っている人って、もしかすると自分は「正義」や「規範」をわかっていると思っているのでしょうか。そして、今は「規範」がはっきりしていないけれど、昔は明確だったとでも言うのでしょうか?自分だけは「正義」がわかっている?何が正しくて、何が悪いのかわかっているの?もしくは、わかっている人がいるとでも言うのでしょうか?

 ほ~んとう?????

 善とか悪ってそんな単純なものではないですよね。世の中すべてが「善」と「悪」に簡単に二分できるものでもないのでは?と~っても幅の広いグレーゾーンがあって、皆、その中で悩み、迷っているのではないでしょうか?だから、ハリウッド映画の単純な「勧善懲悪」についていけなくなってしまった。ハリウッド映画の凋落の原因のひとつでしょう。マスコミ(特にテレビ)の上から目線に、軽く不快感を覚えるのもそのせいではないかと思います。 

 誰もが生きている中で、常に「選択」している。その選択が果たして正しいのか、正しくないのかはわかりません。短期的には誤っていたとしても、長期的には正しいのかも知れない。でも、5年後には正しくても、20年後には?残念ながらわかりません。自分にとって正しかったとしても、他の人にとっては異なるかもしれない。裁判制度なんてものが始まろうとしていますが、できれば他人を裁くなんてやりたくありません。だからといって、現状の裁判官に押し付けている制度が良いわけでもないかもしれない。

 そう、だから自分は他人に「道徳」を教えられるなんて、今の若者はなっていないから自分たちが「規範」を教えなおしてやる!なんてことは傲慢な考え方だと思うのです。きっと、もし「道徳」を教えられる人がいるとしたら、イエス・キリストか釈尊かムハンマド(マホメット)くらいでしょう。しかもきっと彼らは押し付けないのです。彼らは自分の考えを述べるだけ。それに共感する人、そこから何かを見出す人だけが、彼らから何かを学ぶのです。「道徳」ってそういうものなのでは?気づきでしか、道徳なんて身につかない。誰かが教えることができるようなものではないのでは?だって、採点だってできない。テストをする時、このシュチュエーションであなたはどう行動するべきだったでしょう?という問いがあって、それに解答して、それを○、×、△、もしくは10点だとか5点だとか点数つけるのでしょうか?

 批評とか批判は簡単ですよね。でも、大勢に逆らってでも、自分のポリシーを貫くことができますか?戦時中を批判するのは簡単です。でも、日本全国が戦争に向かってひた走っていたあの時代に、憲兵に捕まって拷問をうけることが分かっていながら、「戦争反対」を声高に唱え続けることができるのでしょうか?あの杉浦千畝さんのように、本国に逆らってユダヤ人たちにビザを発行し続けることができますか?チャップリンが「殺人狂時代」をアメリカで製作し、「一人、二人殺したのであれば犯罪者だが、数万人殺せば英雄だ」と痛烈なアイロニーを込めて主人公に語らせた勇気。結果、チャップリンですら「赤狩り」にあい、アメリカを逃げ出さざるを得なくなるのです。

 そんな勇気があなたにありますか?

 そういう人にしか、「道徳」や「正義」を教えることができないのではないかと思うのです。中途半端な表面的な「道徳」なんて危ないだけです。「儒教」の精神が何が何でも正しい訳ではない。「行動規範」は教えられるものではなく、「気づく」ものです。どんな大人だって子どもに教えられることもある。道徳を教えることができるなんて考えることが傲慢だと思うのです。

 う~ん、何かまじめだな、私。でも、常に迷って生きているのが人間だし、「正解」なんて簡単に見つからないのですよね。

2008年3月 8日 (土)

ルールとは

 最近、テンション低下中で、現実逃避モードでした。ようやく復活できそうで、今までの生活ペースに戻れそうです。久しぶりにマッサージにも行きました。いつもの担当の人にマッサージしてもらいながら、調子に乗って、芋洗坂係長とかなだぎ武についてとか、なだぎ武とだったら付き合ってみたいなあとか(訳わからん!)、会社に小池徹平くんや岡田准一くんが会社にいたら、つらい時にちょっと顔見るだけでも和むよね~なんて話をしていたら、「そんな人でしたっけ?」と言われてしまいました。そうです、そんな人なんです。アホなやつなんです。

 部屋の掃除もサボっていたし、ピアノも練習していないし、う~ん、何かだらだらしすぎです。でも、今日も眠いから寝てしまおうかな。

 最近ね、ルールとかさ、リスクがどうとかさ、何かそんなことばかり。表面的なことばかり見ていて、肝心な本質を忘れていませんか?ルールのためのルールでは駄目なんですよ。リスクヘッジとはリスクのあることをやらないということではないはず。リスクが無いなんてことありえない!リスクがあるけれども、どうやってそのリスクを最低限に防ぐのか?それをただ机の上で、論議ばかりしたって仕方が無い。現場に出ようよ!事実に向き合おうよ!逃げちゃだめだよ。それだけなんだけどなあ。でも、それをちゃんと訴えて、説得して、皆を事実を向き合わせることができない自分。それが一番情けないのだよ。と、自分が一番その事実に向き合っていなかったのだな。だから、現実逃避していた。わかっているのに、できない自分。

 まあ、内藤も防衛できたことだし、戦っていたあの二人が健闘を称えあう姿は、なんとなくほのぼのしていました。良かったね、内藤さん。

 って、何の話しているんだか。

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