聖火リレー
もう数日経ってしまいましたが、そう、聖火リレーです。
難しいですよね。オリンピックと政治は別物だ。そう言いたいですし、そうありたいものです。私の記憶にあるのはモスクワオリンピックボイコットです。私がまだ中学生の頃かな。あの時はボイコットすべきだ、となんとなく思っていました。確か、当時ソ連がアフガニスタン侵攻したのだったと思います。だって、戦争は駄目、だからオリンピックもボイコットすべきだと。しかし、だんだん年を重ねるにつれ思います。その政治的な判断の影で、一生懸命にオリンピックに向かって努力してきたアスリートたち、彼らが犠牲になっているのでは?特に日本のアスリートたちはそれほどお金に恵まれるわけでもないのに、勝手な我々の期待に応えるべく、努力しています。そして、きっと誰のためでもなく、自分のために頑張っている。そんな彼らの4年に1度の目標を奪ってしまっていいのか?
確かに、戦争や武力行使はよくない。だけれども、その抗議の対象は政治をつかさどっている人々であって、決してアスリートたちではない。。。けれど、オリンピックを抗議の手段に使うのは、政治家達へのアピールとしては最も有効。だからこそ、政治とオリンピックは切り離せなくなってしまう。
長野での聖火リレー、あんなにランナーたちが警備に取り囲まれてしまっては、全然見えません。でも、罪もないランナーたちがケガするようなことがあってはならないし、ある意味仕方がなかったのでしょう。いろいろと主張するのは自由だから、デモとかするのは良いけれど、ランナーたちに向かって物投げたり、飛びかかって行かなきゃいいのにね。星野仙一さんが言うのは最もだと思います。別に聖火ランナーとして走るからと言って、中国を支持するわけでもないし、かといってチベットに肩入れするわけでもない。ただスポーツマンとして走るだけとね。きっと聖火ランナーたちは、別に中国のチベットに対する対応に賛成なわけではないと思います。ただ、オリンピックを成功させたいだけ。中国がオリンピックを自分たちの国力をアピールするのに使おうが使うまいが、ほとんどの国には関係ない話です。たぶん東京オリンピックの時に日本もそうだったでしょうけれど、国の威信にかけて・・・と頑張っているのはその主催国だけで、結局は自己満足なんでしょうね。
ただ、中国はまだまだ気がついていないでしょうけれど、国際化する、世界で生きていくには、もう少しグローバルな視点や倫理感が必要です。そこに気がつかないと、国際社会では生きていけない。それに早く気がついてほしいものです。日本も今それで苦労しているのですから・・・