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2008年4月28日 (月)

ハンニバルその2

 桜が咲くくらい暖かかったと思ったら、また寒くなりましたね。風邪ひいてしまいましたよ。でも、桜はもう昨日には満開だったようだし、う~ん、花見できずに終わりそうです。

 さて、前回の「ハンニバル」についての補足をします。

 まず、ローマ連合について。ローマは戦争で勝った相手国を、現代の我々が考えるようないわゆる植民地化したわけではないのです。もともと「ラテン同盟」という同盟関係を結んでいたのですが、ローマが強くなるまではそれほど強固な同盟ではありませんでした。しかし、ローマが強くなるにつれ、この「ラテン同盟」は意味を持つようになり、ある敵に対し軍事的に共同戦線を張るということとなります。しかも、ラテン同盟国間では、戦闘で得た利益はローマと平等に分けられたのです。ただ、このラテン同盟では、ローマが危機に瀕した時には、他の同盟国は離反しやすいという問題がありました。そこで、ローマはこの「ラテン同盟」を「ローマ連合」へと見直しをかけます。そしてこのローマ連合は5種類に分けられるのでした。

 まず、ローマそのもの。ローマ市民権を持ち、直接納税、兵役の義務、選挙権、被選挙権を持ちます。次に、ローマは大胆にも「ラテン同盟」の諸国になんとローマ市民権を与えます。そして、「ムニチピア」と呼ばれていた国々(今でいうと地方自治体、市町村という言葉らしいので、少し地方の国々のことか?)には選挙権無しのローマ市民権を与えます。また、この人々は数年経つと、完全なローマ市民権を得ることもできる人たちでした。

 4つ目が「コローニア」といわれる植民地です。ローマは戦略上重要と思われる国に入植し、ローマ市民が軍務につきます。そのコローニアに住む人々は自分たちの地域を守るために軍務につきます。最後が「同盟国」ですが、これは「ローマ連合」ができあがってからローマに負けた国々で、ローマはこれらの国々には税を求めず、兵役を求めるというやり方をしました。

 「ローマ連合」のすごいところは、ローマは敗者をできるだけ尊重しつつ、税による負担を求めず、兵役を求めるのみであったということです。それが非常にうまくいき、ローマ帝国を強くしていった。ハンニバルはそこを打ち破ることが、自分たちの勝利への道と考え、ローマ帝国の中から戦闘を開始し、内側から「ローマ連合」を崩そうとした訳です。卓越した発想力と行動力ですね。

 全然ハンニバルの話とは離れますが、地中海の地図を見ると面白いのです。現エジプトの向かい側にギリシャがあり、エジプトのすぐ近くにはイラン、イラク、そしてトルコがあります。4000年前にエジプト文明が始まり、3500年前くらいですかね、メソポタミア文明が花開きます。エジプトが先に強大な国となり、教養や文化が栄えた、きっと天文学なんかもエジプト発祥のはずです。ギリシャとの海を挟んでのあの近さを考えるに、エジプトの文化は海を渡り、ギリシャに伝わり、そしてギリシャに文明が栄えたのでしょう。そして、その次がその隣のローマだったのでしょうね。

 また、エジプト文明から渡ったのか、それとも独自だったのかは勉強不足で調べておりませんが、イスラム文化はメソポタミア文明から始まったのでしょう。現イラン、イラク、トルコはペルシアという国名で栄えていたはずです。それが今のイスラム諸国の原点。正直言うと、「東洋」といえば、日本人の我々の感覚では、日本が極東で中国、韓国、タイとかいろいろあって、でもせいぜいがインドまでかなあという感じです。今でも私は何でトルコやイラン、イラクが「東洋」なの?と思うのですが、結局世界は現ヨーロッパというか「地中海」中心だったのですね。このローマ時代の世界観がそのまま今の世界観なのです。というか、日本がその考えを取り入れてしまっている。だから、このローマ帝国時代では、トルコを挟んで、ギリシャから西が西洋、トルコから東が「東洋」なのです。考えると狭い世界観ですよね。サッカーのワールドカップ予選で、何でトルコとかアラブ諸国と日本が戦うのかなあと思っておりましたが・・・そういうことなんですね。でもアジアは日本からインドくらいまでが許容範囲だよなあ。文化的にも。だって、仏教という切り口で考えるとそうじゃない?アラブ諸国と日本は違いすぎるよなあ、とお互いに思っているのではないかしら?やはり「西洋」主体の世界観なのね、地球は。というか、日本が。もうちょっと平等な世界観を教えるべきではないかしら?日本の教育も。

 と、また話が飛んだなあ。

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