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2008年9月に作成された記事

2008年9月28日 (日)

1年後の総裁選

 去年、総裁選があったと思ったら、また今年も総裁選。

 まあ、予想とおりというか、総裁選やる必要あるの?って感じの結果でしたね。み~んな麻生さんだろうなと。石原さんは、これから近い将来に総裁になるためでしょ。他の人は申し訳ないけれど、にぎやかしとしか思えませんわね。

 小泉さんが急に引退。小泉純一郎の功罪っていうのもあるかもしれないけれど、何故、国民は小泉さんを支持し、安倍さんや福田さんを評価しなかったのか?これを自民党は本気で考えたことあるのかな。国民は今の政治家を評価していないのですよ。アンテナ壊れっぱなしなんだもの。やはりね、どの省庁見ても、自治体の仕事見ても、問題があるじゃない?けれど、そこに本気で向き合おうとしていないんじゃないかな?それができるのは政治家しかいないと思うのだけれど、やってくれないのよね。

 小泉さんは、結果がどうであれ改革をしようとした。少なくとも、派閥政治や規定路線を壊そうとした。それを国民は歓迎した。安倍さんが急速に支持を失っていったのは、結局、壊せなかったから。たぶん安倍さんは小泉さんと違って、失うものがありすぎたのでしょう。福田さんは、う~ん、改革する気があるんだか、ないんだかわからない。

 もちろん、じゃあ民主党がいいの?って、元々自民党な人たちと社会党な人たちで、悪いけれど、彼らだって、アンテナ折れた旧タイプ政治家ですよ。小沢さんなんかその典型。でも、国民はそろそろ1党だけに独占をやめたいと思っている。そろそろ日本を変えようとしている。だから、悪いけれど、アンテナ折れている政治家たちの思惑通りにはならない。少しでも感性があったら、せめて石原さんを総裁にしているでしょうね。まあ、そんなことができれば、苦労はしないか。

 話は変わるけれど、王さん、お疲れ様でした。ソフトバンク(当時ダイエー)の監督に就任して、でも、成績が低迷していたとき、生卵をファンから投げつけられたこと、忘れません。あの世界の王貞治が、現役時代はスーパースターだった、あの王貞治が、あんな屈辱に耐えなければならなかった・・・王さんって本当にすごい人だ、人格者だと思いました。そして、その屈辱を経て、優勝した。そして、今や王さんなくしてソフトバンクは語れないでしょう。でも、やはり休んでいただかないとね。ガンで手術してから、王さんはやせてしまいました。監督という仕事はやはり重たい、そして厳しい仕事でしょう。少しでも長く生きていてもらうためにも、ゆっくり休んでもらいましょう。WBCの監督にって話もあるけれど、それは駄目ですよ、絶対に。

 本当に、日本のマスコミも野球界も酷いなと思うけれど、あれだけ星野さんをいいだけ持ち上げておいて、オリンピックでだめだったら、手の平返し。ほ~んとに、マスコミって勝手だよね。日本が結果出せなかったのは、監督采配だけではない。ボールの問題とかストライクゾーンの問題とか、他にもたくさんある。ちゃんとそういうことを分析して、対策ねらないと、また負けるぞ。1年間集まって一緒に練習しないとだめって、な~にを甘いこと言ってんの?精神論じゃないよ。だって、彼らはプロなんだもの。

 話がそれてしまったが、王さん、お疲れ様です。ゆっくり休んでください。そして、監督たちも若返りすべきですね。

2008年9月 7日 (日)

おくりびと

 先日、近親者が亡くなった。

 そして、本木雅弘主演の「おくりびと」が、モントリオール世界映画祭でグランプリ受賞という記事を読んだ。

 「偶然」という言葉ではなく、これは「縁(えにし)」いうものであろうか。

 「湯灌」を行うと聞いていた。夕方6時頃に彼はやってきた。年のころは30代後半から40代前半だろうか、まだ若い方だった。

 彼はまず準備を始め、死者のからだをある程度拭いてから、我々を呼んだ。まだ、遺体は眠っているかのようであった。だんだん遺体は小さくなり、告別式のときには、顔はやせ細ってしまっていた。そこからは骨が見えるかのようであった。このときはまだ死んでいるとは思えなかった。。。

 儀式が始まった。病院で着せてくれた浴衣の下を彼は丁寧に拭いていった。決して遺体を粗末に扱うことなく、肌を他者にさらすことは決してしない。送られるための白い衣裳を身につけさせるにも、すっと衣裳をきっちりとのばし、細心の注意を払い、あらゆる気を使いながら、衣裳を着せて行った。8月の終わりではあったが、その日はそれほど暑くなかった。次第に、彼の額には汗が光りだした。義理の姉の母が、孫に言った。「汗を拭くためにティッシュを持っていってあげなさい。」 彼は、素直に受け取った。

 衣裳が無事に着せ替えられ、遺体は本当に眠っているかのようになった。そして、皆でゆっくりと棺の中に納めた。

 「湯灌」には少し抵抗を感じていた。ところが、悲しい気持ちが、吹き飛ぶような荘厳な時間が流れた。私たちは彼の一挙手一投足に魅入られた。何と気高い仕事なのだろうか。何とプロフェッショナルなのだろうか。まるで舞台を見ているようであった。

 映画では納棺師と言っていた。そして、同じように気高い仕事だと思う人がいたのだろう。

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