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2009年2月に作成された記事

2009年2月22日 (日)

赤毛のアン

 2008年は赤毛のアン生誕100年だったそうだ。1908年にモンゴメリの「赤毛のアン」 "Anne of Green Gables"が出版された。実際に書かれたのはその3年前。自信のなかったモンゴメリは出版社に送らなかったが、あるとき読み返し思い切って出版社に送り、世の中に出たのが、1908年だった。そのせいか、「赤毛のアン」関連の本が世に出ている。「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」それを、なんとあの脳科学者の茂木健一郎氏が書いている。へ~っ。男性も「赤毛のアン」を読むんだ。

 「赤毛のアン」はどちらかというと、児童文学に位置づけられている気がする。初めて読んだのは?今では思い出すことができない。本当に子供向けを小学生の時に読んだかもしれない。ちゃんと読んだのは、中学生の時だ。旺文社の「世界の名作100選」を買ってもらった。その中に「赤毛のアン」はあった。一緒に「女の一生」とか、「車輪の下」なんてものもあったが、中学生には「赤毛のアン」、「若草物語」、「トム・ソーヤーの冒険」が楽しめたかも知れない。いくらなんでも「女の一生」は無理だね。

 さて、茂木さんだ。小学校の時に「赤毛のアン」に出会い、運命の一冊となってしまったらしい。それを彼は何故なのかを分析している。まず、「赤毛のアン」で西洋文化に対して負けている日本の自分を感じる。そう、「自分にとって、人生の中で何が大切か」を明確に意識している西洋人に対し、プリンシプルのない日本を感じるのだ。後は、成長と喪失の物語であるとか、居場所を見つけることの大事さ。そして、どうしても感じてしまう西洋文化に対しての敗北感の中で、いかに自分は生きるのか?茂木さんは、結局、日本にいながらにして世界に戦おうと決める。

 ふんふん、なるほど、そういう読み方ね。私は何を感じたっけ?実は「赤毛のアン」は1作で終わりではない、大学に行き、結婚し、子供が生まれるという、アンが人生を生きていく中でのさまざまなストーリーが流れていく。確か、短編含めて10作くらいある。モンゴメリは特に続編を書くつもりは無かったのであるが、好評だったので、続編を書いたのである。最後は、アンの末娘リラが中心の話となる。 

 で、改めて読んでみた。まず、感じたのは、文章が超修飾的である。描写に次ぐ描写、自然を非常に丁寧に一生懸命に描写する。そうか、文体も変わるのね。最近の小説はこういう詳細な表現はしないなあ。さらに、モンゴメリは「変わった人」を描いている。マシューもマリラもどちらかというと変人である。リンド夫人が普通かと言うと決してそうではない。そして、実にそういう人が魅力的なのである。そして、「アンの愛情」"Anne of the Island"でもフィリパ・ゴードンというこれまた変わった、でも魅力のある人物を登場させる。そして、その頂点がアンなのであろう。読んでいてアンはたぶん寅さんなのだろうなと。そう、連想させられた。何かを一生懸命にやろうとする、でも必ず何か失敗をやらかすのだ。親友のダイアナを酔っ払わせたり、成功させようとしたお茶会で、ケーキにバニラビーンズではなく、薬を入れてしまい、超まずいケーキを作ってしまうとか。まあ、これはマリラが「いちご水」のある場所を間違って教えたり、「バニラビーンズ」の瓶に薬を入れてしまっているせいでもあるが。さらに、アンが常にそういうときに風邪引いていたりしてね。「アンの青春」"Anne of Avonlea"では、借りたお皿を割ってしまい、同じお皿があるらしいという家に行き、不在だったので皿だけでも確認しようと、屋根に上がって天窓から覗こうとした結果、その屋根をつき破りはまってしまうとか。。。とにかく、事件が起こる。でも、本人は実にまじめに良い結果を出そうと思って、でも「事件」は起こってしまうし、たいてい「笑い」が起こる。

 そして、アンとマリラの会話のギャップである。50歳過ぎのマリラは非常に実際的であるし、想像力なんて働かせたりはしない。いろいろなことをやらかすアンにマリラは一生懸命に「現実」を教えようと説教をするが、まるでアンには通じない。実は、ここが非常に面白い。掛け合い漫才的なところがある。終いにはマリラはおかしくてたまらなくなる。でも、アンは至極まじめなので、何故笑われるかはわからない。想像力は無いけれど、マリラにはユーモアセンスがあるのだ。 

 このちょっと"トンデル”子供(表現ふるいなあ)と大人の感覚のギャップが面白い。それが、「アンの青春」では、新たに引き取った双子のデイビーとアン・マリラの関係で発生する。同じ双子のドラは優等生過ぎて少し面白くないのだ。

 モンゴメリは、個性を大事にしている気がする。そして、何よりも人生で大事なことは何か?これをついてくる。自分にとって大事なことは何なのか?大切な人であり、家であり、故郷である。それを大切にしないでどうするの?親友であるダイアナがある時、アンが書いた短編をある会社の広告小説として応募してしまう。アンはそれにショックを受ける。自分の小説は決してお金のために書いているのではない。それをそんな・・・・ところがダイアナは、お金を得られたから良いじゃない?と。悪びれる様子は無い。親友のはずのダイアナであるが、いつかは考え方にギャップが出てしまうのだ。本当は大学で一緒になったフィリパやプリシラの方が、考え方は同じなのだろう。でも、ダイアナは少女時代の大切な友人なのである。これで二人の関係が損なわれることはない。

 私が、中学生の時に、アン・シャーリーシリーズを10作読んだ時、いったいどう感じていたのであろう?残念ながら「運命の一冊」であったわけではない。でも、非常に魅力のあるシリーズではあったのだろう。10作の中でアボンリーをめぐる人々の話が、短編集として2冊ある。実は、こちらのほうが面白いような気もしていた。アンがギルバートとカップルになるのは読者からすると自明のことなのに、それに抵抗するアンが歯がゆかったりもした。何やってんの~?そして、印象深いウォルターである。もっともアンの空想癖を受け継いだアンの次男のウォルター。私は彼が大好きであった。ギルバートは、登場した時は強烈なキャラクターとして出た来たはずなのだが、結局は、常識的で全うな人になってしまった。マシュー亡き後の、アンの理解者であり、サポーターの役なのだろう。と、全然、「運命の一冊」ではないなあ。

 でも、大人になった今、読んでみて、なぜか「泣いた」。ぼろ泣きだった。特に短編ではそうであった。何故なのだろう?たぶん「無償の愛」が、結構出てくるからなのかもしれない。貧しくても自分が尽くしたいと思う少女に尽くす「ロイド淑女」の話であるとか、自分の義務から逃げない人々。意地悪を言う人はたくさんいるのであるが、愛する娘からは絶対に裏切られることはない。皆、都会の裕福な生活ではなく、純朴な田舎の生活を愛しているのだ。

 そういうことなのかな。このシリーズの魅力は。そして、年齢問わずに友人となることができる世界がここにはある。「うまがあう」もしくは「同類」。17歳くらいのアンが40代のミス・ラベンダーと友人となったり、8歳くらいのポールとも「同類」だと「空想」を分かち合うのであった。もちろん、まず最初は60歳くらいのマシューとであった。いいなと思うのだ。年齢性別を問わずに「共通項」を感じること。「同志」というか「同類」。生きていくにはこういう関係が必要なのだ。

2009年2月15日 (日)

ねこ三昧

Image065  猫Cafeが出来たのだけれど、初めて行ってきました。いやいや、さすがにたくさんいるとくさい!我が家にも1匹いますが、そんなにニオイは気にならないけれど、10匹くらいいると動物臭がしますね。

 でも、しばらくいるとそんなニオイにもなれ、まったり感に浸ってしまいました。なんだ、ここは?という感じで、普通のビルの5階にありましたが、意外とお客さんも続々やってきて、常時10数名くらいのお客がいました。猫たちは、あまり人間についてはお構いなしで、基本は寝ていました。

 そして猫鍋やっていました。この子は一番美形猫だったので、写真に納まってもらいました。たぶん、コタロー君です。

 私の友人は男二人で来ているカップルに大注目でした。「オープンな時代になったのね~」だって。いやいや、単なる猫好き男性かもしれないじゃん。ただ、男二人カップルは2組いたけれど、絶対片方はあまり猫に興味なさそうだった・・・・ まあ、真相はわからないが・・・

 そして、「本日のスープ」これまた購入です。もちろん、猫の写真集です。友人からは、一体、月に何冊購入しているんだ?と問われましたが、別に決めていないです。単に、気に入った写真集があれば買うのです。すっごいかわいいの。黒猫でね。まんまるな目です。

 さて、今日の爆笑ポイントは、「もう、純ちゃんたら!」でした。友人は開口一番、そこからはじまった。よほど、奇人変人発言に頭に来たのかな?もう一つは、森さんの「うるさい」発言でした。だ~って、麻生さんと並ぶ支持率最下位な人でしょ。そ~んな強気でいいのか?

 あとは、ハリウッド映画について。ブラピとウィル・スミスとアンジェリーナ・ジョリーとケイト・ブランシェット以外の、ベテラン俳優たちは、歌って踊らないと映画に出られないのか?だって、メリル・ストリープが「マンマ・ミーア」で踊っているんだよね。ただ、ちょっと見てみたい!!そして、クリストファー・ウォーケンも踊ってたもんね、「スプレー」で。しかし、ハリウッド映画ももう少し別な俳優も使うべきでは?そして、「ドラゴンボール」までハリウッド映画でやるの~~~?少し考えてくれい!実写というのはどうなんだ?

 と、いうわけで、今度見に行きたいのは、「ホルテンさんのはじめての冒険」。ノルウェーの映画みたいです。なかなか和みそうなので、楽しみです。

2009年2月14日 (土)

東京ホリディ

Image056_2  リフレッシュ休暇をとらないとならないので、今のうちにと思ってずっとお休み。意識していなかったけれど、なんと10連休だった。すごっ!そして、特に何もせず。近年にないの~んびりした日々をすごした。

 毎日の~んびりしているのは、このオーリーだけど。最近、暖かいからなあ。ちょっとだらだらしすぎじゃないのか

 特別なことはしなかったけれど、東京にちょっとお出かけしてきました。って、結構、出張で行くのに、何でわざわざ休みに?という周囲の疑問をものともせず、軽く行ってきましたわ。

 で、「東京ホリディ」杉浦さやか。イラストレーターなのかな?いつだったか、友人とベトナムに行った時に、彼女が「ベトナムで見つけた」ってとってもかわいいイラスト&エッセイ集を持ってきていたので、その後、「上海を歩こう」「東京ホリディ」を見つけて、別に行く予定もないのに買ってしまった。で、今回参考にして、神楽坂と神保町に行ってみました。

 が、しかし!そうよねぇ、そうなのよねぇ。。。6年前の出版ですもの。掲載されていたお店は無かった。神楽坂の雑貨屋さんは行ってみたかったけれど、無かったし。まあ、カナルカフェでは超遅いブランチ食べたし、黒塀の路地や高そうなお店の数々はなかなか雰囲気ありでしたね。でも、意外にメイン通りにゲーセンとかあるのはどうなんだ?って感じです。今度は夜ご飯食べに行きたいな。

 神保町に行ったときは、すっかり夜だったので、本屋めぐりもしたかったけれど、遅すぎた。でも、「さぼうる」という喫茶店に行きました。マスターが入り口で出迎えてくれて、雰囲気は完璧。店内の広さの割には、スタッフが多い気がしたので、つきあってくれた関東在住の友人とともに、カウンター内で働くバイトの仕事ぶりを観察していた。そして、学生時代のバイト話なんかしたりして・・・二人とも地味なバイトしかしていなかったなあ。って、派手なバイトってどんなんだろう?

 東京にはもっともっといろいろなところがあるはず。本当は下北沢とか吉祥寺とか、荻窪にも行ってみたいんだよなあ。出張のついででは、あまり時間ないしなあ。でも、今度は機会を作って行ってみるか。そして、杉浦さんのイラスト本も探そうっと。今、ネットで検索したら、ほぼ日刊イトイ新聞の2005年5月に杉浦さんが出ている。ちょっとびっくり。タイトルが「カワイイもの好きな人々(ただし、おじさんの部)」いいわあ。小さなぬいぐるみのパンダをドライブに連れて行って、一緒に写真撮っているの。か~わいいおじさんのカワイイもの好きっていうのも、いいわね!

2009年2月13日 (金)

Good Grief

  まずは、昨晩の小泉発言について触れようかな。確かにね、誰かが言わないとね。「麻生さん、まずいんじゃないの?」

 今の圧倒的な衆議院の自民党数は、何のおかげで、誰のおかげだったのか?

 「郵政民営化は反対だった。」

 「はあ?」(ここは、青木さやか風に思いっきり言うこと!少々古いが)

 「小泉さんは奇人変人だから・・・・」(へぇ~、じゃあ、あなたは何?)

 小泉さんを奇人変人と言って良いのは、田中真紀子さんだけだよ。そ~んなこともわからないほど、KYなのね~~~まあ、かなり前に終わっていたけれど、完全に終わっちゃったね、麻生さん。下手すると、政治生命まで。ここ2年で考えると、やはり安倍さんだったかな、一番まともだったのは。我々国民も反省するべきかなあ。もう少し、安倍さんにチャンスを与えるべきだったね。それにしても麻生さんは、ひどすぎる。でも、仕方がないかな。世の中が変わらなければならなくて、そのためには民主党に政権をとらせた方が良いのでしょうね。そうなるとこのままの流れで、自民党はアンテナ折れっぱなし路線を走ってもらうしかないか。

 やれやれ(Good Grief!)

  というわけで、チャールズ M シュルツ (Charles M Schulz)の自伝。チャールズ M シュルツって知っているでしょ?スヌーピーの生みの親。フィッツジェラルドと同じミネソタ州セントポール出身。背の高い、内気な青年。それが彼だった。スパーキーというのが、彼のあだ名。スヌーピーのお兄さんにスパイクって出てくるけれど、なんとなくスパイクを彷彿させる。スパーキーと呼ばせていただくが、スパーキーは超現実的な人。漫画はあくまでも漫画で、それ以上でも以下でもないと考える。子供を必要以上に持ち上げないし。だから、チャーリー ブラウンは、どうしたってチャーリー ブラウンのままで、絶対にヒーローにはならないし、決して赤毛の女の子に恋心は届かない。ルーシーがどんなにアピールしたってシュローダーは振り向かないのだ。

 子供たちは子供たちなりに考え、悩み、哲学を語る。全然、純真でもなければ、無垢でもなく、それなりにずるく、彼らなりに、人生を生きている。

 スパーキーは、淡々と描く、そんな子供たちを。そこに「芸術性」や「大物」をアピールしない。自分が描いているのは、新聞向けの漫画。だから面白くないとならないし、どんな大企業よりも新聞を大切にする。そんなスパーキーがいいなあと思う。

 私は、個人的にはヴァンペルト師弟が好きだな。超性格の悪いルーシーと、賢いけれど安心毛布の手放せないライナス。日本版では、ルーシーの声はうつみ宮土理がやっていた。結構はまっていたと思う。ルーシーは時々、精神科医をやっているのだ。ボックスに入って、あれが超現実的で、参る。そういわれたら仕方がないやって感じ。チャーリー ブラウンは谷啓だったね。あれはなかなか良かった。スヌーピーが日本で人気が出たのは、声の配役が良かったのではないかしら?

そう、日本語版タイトルは「スヌーピーと生きる」 リタ・グリムズリー・ジョンスン(Rheta Grimsley Jhonson)著。(なんでもいいけれど、邦題はセンスないなあ。)

2009年2月 8日 (日)

ジュンク堂札幌店&裁判員制度

 そう!遅いっていうの!2008年12月20日にオープンしたジュンク堂札幌店にようやく、本日行きました。

 いやいや、広い!もうね、これは参りました。ちょっとね~~~本好きとしてはにやけるしかないですね。紀伊國屋が札駅前に行ってしまってから、東西線利用者としては本屋さんが物足りなかったのですが、もう、たまりませんわ欲しい本がたくさん!これは、しばらく出費しちゃいますよ。ただね、それほど本好きではない一般Peopleには、すこ~し、不親切なつくりではないかしら?文庫本がね、3階というのはどうなのかな?あと、新刊本はジャンル問わずに1階にするとかね。ポップとか、平積み本のスペースとかたくさんあっても良いのかなと。あれだけ広いのだからね。

 でもね~~~すごいたくさん種類の本があって、嬉しい

 さて、突然、話題は変わって。。。髪を切りに行ったのです私の担当美容師が、今までの店をやめて(大手チェーン店ね)、彼女の先輩が始めた店に2月1日から働き始めたので、そこに行きました。今度は北17条なのよね。なかなかこじんまりとした、そしてパステルカラーが和みを感じさせる、なかなか雰囲気の良いお店で、私の担当美容師も楽しそうだったので、良かったわで、雑誌を読んでいたら、裁判員制度のことが載っていたのよね。あれだけ、国民を巻き込む話なのに、いつの間にか決まっていたというのもおかしいとか、フランスの例などが載っていて、フランスは「フランス革命」直後くらいから、実は「裁判員制度」的なものがある、自分たちで勝ち取ったものだから、どこか、押し付けられた風の日本とは違うみたいなことが書いてありました。

 そうね、いつだったか、3人くらいのおじさんが、「人の死を決めるなんて極めて責任の重いことを自分たちはできない」と、何故か堂々と記者会見していた。それって、理由になるとでも思っているのかなと、正直言って思いました。じゃあ、その責任重大なことを、裁判官だけに任せて良いのかな?

 確かに、「死を決める」というのは、安易にできることでもないし、本来、他人の死なんて決められるものでもない。しかし、「文化」や「社会」というものを作らないと生きていけない人間の場合、「法律」はどうしても必要で、誰かを殺めてしまった人は、裁かれなければならない。そのときに何らかの「罰」は決めないとならない。それをある特定の人だけに任せることが果たして良いのだろうか?もしかすると、ある「責任」を放棄していませんか?極めて重いことだからこそ、少数の人間だけではなく、多くの人間が関わらなければならないのでは?

 と、考え出すと、裁判員制度は否定するだけのものではないのでは?と。そこで、逃げてしまったら、我々には、裁判を批判する権利すら無くなってしまう。裁判官の常識がもしかすると、我々一般市民の感覚とずれているかもしれない。そういう危機感から生まれた制度なのだとしたら? 

 少し、我々は、「責任」と「義務」を負うということを真剣に考えなければならないのでしょう。

 ただ、今までの裁判は、すご~く時間がかかっている印象があるのだけれど、何年もかかるのには、付き合えないよ!(残念ながら、私は裁判員には指名されていないんだけどさ!)

2009年2月 1日 (日)

わかっていないんだよね!

 政府はどうしても「定額給付金」を配布したいらしい。予算案は通ったし、財源に関してはいろいろあるが、このまま行くと一人12,000円は配布されるのでしょう。

 まあ、国民はくれるというのであれば、もらうしかない。でも、何故、多くの人々が「定額給付金」に反対しているかということについて、真剣に与党である自民党は考えているのだろうか?日本は今、突然、経済危機を向かえたわけではない。トヨタは確かに、海外では車が売れていたのかもしれないが、国内では?突然、今年になって車が売れなくなったわけではないだろう。そして、トヨタとソニーだけが儲かっていれば良かったのか?そうではなかったはずだ。バブル崩壊以降、日本は本当にグローバルに展開できていたのか?西松建設の問題は、たぶん一企業だけの問題ではない。ODAは建設業界を助けるために行われ、政治とお金と開発の関係は昔から変わらなかったのかもしれない。

 小泉さんが何故、国民の支持を得たのか?それは、構造改革をしようとしたから。変わらないとならない。「開発」することが、正義ではないし、それが経済成長をもたらすものではない。国民はそう感じている。そこに政治と票とお金がかかわっていることを、敏感に国民は感じている。建設業界も大切だけれど、「開発」が経済活性化に結びつかなくなった今、皆、変わらなければならない。

 だから、そこを考えて欲しいのですよ。今、短期的な変革や改革を求めているのではない。バブル崩壊後、もう20年近く経つというのに、日本は変わっていない。悪いけれど、アメリカの今回の崩壊だって、日本のバブルと一緒。何の違いもありはしない。皆が金儲けに踊っただけ。結局、それで右往左往している。いつだって、ただの金儲け主義はいつか崩壊する。消費者、利用者のためにまじめに商品、サービスを提供しているところが、ちゃんと生き残る。大きな儲けは無いけれど。消費税を上げないと、社会保障ができないというならば、それはわかる。しかし、その前に社会保険庁がいい加減に我々のお金を使ってきた禊を終わらせてくれ。国は、必要だといってハコモノ行政を実施してきたけれど、結果として建設業界は変わったのか?延命措置ではなく、変わってもらわないとならないでしょう。

 お金だけで、介護が成り立つとでも?お金があれば、介護をやってくれる人が増えるとでも?甘いね、甘すぎるよね。教育や医療やいろいろなことをちゃんと変えていかないと、社会は変わらない。介護をやる人が増えるわけではない。 何も難しいことを望んでいるわけではないのだけれどね。どうしても、政治家たちはわかってくれないみたい。仕方が無いから、政権交代させてみるしかないのだろうね。もう、その道に進んでいるもの。これは止められないよ。そして、そうならないとならないのでしょう。                                  

Image049_6  北海道の百貨店の丸井今井も、民事再生法申請しちゃったしね。確かに、伊勢丹支援をもらって、地下2階のお菓子の売り場を改修したとき、なんでやったのだろう?と思った。お金かけて変える必要なんかなかったのに。そして、もっともっと北海道のお菓子屋さんを大事にするべきだと思った。そして、どうせなら、伊勢丹つながりで丸井今井と三越連合を強化すべきでしたね。札幌駅前の大丸が売れているのは、大丸だけのせいではなく、ステラプレイスとの相乗効果。絶対にそう。だから、もっと大通近辺の三越、丸井、パルコ等々の連携強化をしないとね。なかなか難しいのかもしれないけれど、必要ですよ。そして、札幌市民はもっと丸井今井を利用しましょう!!やはり地元企業は大切にしなきゃ。

そして、割とカメラ目線のオーリーが撮れたので、載せてみます。話の内容に関係はないが。。

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