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2009年2月 8日 (日)

ジュンク堂札幌店&裁判員制度

 そう!遅いっていうの!2008年12月20日にオープンしたジュンク堂札幌店にようやく、本日行きました。

 いやいや、広い!もうね、これは参りました。ちょっとね~~~本好きとしてはにやけるしかないですね。紀伊國屋が札駅前に行ってしまってから、東西線利用者としては本屋さんが物足りなかったのですが、もう、たまりませんわ欲しい本がたくさん!これは、しばらく出費しちゃいますよ。ただね、それほど本好きではない一般Peopleには、すこ~し、不親切なつくりではないかしら?文庫本がね、3階というのはどうなのかな?あと、新刊本はジャンル問わずに1階にするとかね。ポップとか、平積み本のスペースとかたくさんあっても良いのかなと。あれだけ広いのだからね。

 でもね~~~すごいたくさん種類の本があって、嬉しい

 さて、突然、話題は変わって。。。髪を切りに行ったのです私の担当美容師が、今までの店をやめて(大手チェーン店ね)、彼女の先輩が始めた店に2月1日から働き始めたので、そこに行きました。今度は北17条なのよね。なかなかこじんまりとした、そしてパステルカラーが和みを感じさせる、なかなか雰囲気の良いお店で、私の担当美容師も楽しそうだったので、良かったわで、雑誌を読んでいたら、裁判員制度のことが載っていたのよね。あれだけ、国民を巻き込む話なのに、いつの間にか決まっていたというのもおかしいとか、フランスの例などが載っていて、フランスは「フランス革命」直後くらいから、実は「裁判員制度」的なものがある、自分たちで勝ち取ったものだから、どこか、押し付けられた風の日本とは違うみたいなことが書いてありました。

 そうね、いつだったか、3人くらいのおじさんが、「人の死を決めるなんて極めて責任の重いことを自分たちはできない」と、何故か堂々と記者会見していた。それって、理由になるとでも思っているのかなと、正直言って思いました。じゃあ、その責任重大なことを、裁判官だけに任せて良いのかな?

 確かに、「死を決める」というのは、安易にできることでもないし、本来、他人の死なんて決められるものでもない。しかし、「文化」や「社会」というものを作らないと生きていけない人間の場合、「法律」はどうしても必要で、誰かを殺めてしまった人は、裁かれなければならない。そのときに何らかの「罰」は決めないとならない。それをある特定の人だけに任せることが果たして良いのだろうか?もしかすると、ある「責任」を放棄していませんか?極めて重いことだからこそ、少数の人間だけではなく、多くの人間が関わらなければならないのでは?

 と、考え出すと、裁判員制度は否定するだけのものではないのでは?と。そこで、逃げてしまったら、我々には、裁判を批判する権利すら無くなってしまう。裁判官の常識がもしかすると、我々一般市民の感覚とずれているかもしれない。そういう危機感から生まれた制度なのだとしたら? 

 少し、我々は、「責任」と「義務」を負うということを真剣に考えなければならないのでしょう。

 ただ、今までの裁判は、すご~く時間がかかっている印象があるのだけれど、何年もかかるのには、付き合えないよ!(残念ながら、私は裁判員には指名されていないんだけどさ!)

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