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2009年3月に作成された記事

2009年3月29日 (日)

徒然なるままに・・・

 雪がとけるのは早かったけれど、なかなか気温は上がらない。最近、なんとなく春めいて感じられる。また、春が来る。やわらかい日差しと、土の香りが漂ってくる。また、去年のように春が来るのに、君に会いに行った道の近くを通るのに、君はいないんだね。それが、しみじみと思い知らされる。普段は日々の生活の中で、忘れがちなのに、時々、ふっと思い出す。もう、会えないのだ。なんて不思議なことなんだろう。

 今日は、「ホルテンさんの初めての冒険」を見た。思っていたのとは、ちょっと違ったけれど、なんかとぼけた映画だった。ホルテンさんは、動じない人なんだけれど、なぜか変なことに巻き込まれる。超マイペースな人。でも、きっと、ホルテンさんには一生を通じて、トラウマがあったんだね。ようやく定年後にそれを克服する。そんな映画でした。

 あとは、お茶をしながらずっと人間Watchingをしていた。常々、デパートやスーパーに入っていないような洋服屋さんが、なぜ成り立っているのかが不思議だった。4軒ほど若い男性向け洋服屋と、マダム向けブティックのような店と、古着屋さん風が並んでいるのをずっと見ていた。若い男性向け洋服屋は、なぜかしょっちゅう店員さんが、外にタバコを吸いに出てくる。仕事しろよ!そして、休憩なのか出てきてどこかに消えるのに、いつの間にか店内に戻っている。どこから戻ったんだ?もしかすると、私たちは張り込みは無理なのか?そのうち、お客が入りそうもないブティックについにお客が!!彼女は40分ほど店にいて、いろいろ試着したりなんだりしていたが、何も買わずに出てきた。残念。すると、もう1軒あった婦人服の店から出てきた2人組が、そのブティックに入った。おや?待つこと10分ほど。なんと、1人が買い物をして出てきた。おめでとう!でも、40分もずっと店でああでもないこうでもないとやっていた人とは一緒に買い物に行けないなあ。。。。

 そんな日曜日でした。

 真央ちゃん、残念でしたね。今シーズンのプログラムは難しかったよね。ずっとこなれていないように見えていたんだ。スピードもなかなか出ていなかったし。トリプルアクセルが成功しないと点のとれない構成だったんだね。でも、今シーズンはずっと綺麗な演技だったと思う。進歩を待っています。キム・ヨナはすごかった。完璧。最後を飾ったね。

2009年3月28日 (土)

一条ゆかりその後

 真央ちゃん、3位でしたね、残念。明日は頑張って~~って、いきなりフィギュアの話。そして、なんと、キム・ヨナは私と同じ誕生日!もちろん生まれ年は○○年違うが。。。すごく親近感もっちゃうわ、って単純な私。

 さてさて、先日一条ゆかりさんのエッセイを読んだので、漫画も読んでみようっと思い、昨日買ってみた。「デサイナー」(「砂の城」はその本屋には無かったし、「有閑倶楽部」は何冊もあるので・・・今度、漫画喫茶だな)

 「デザイナー」というのはロマコメ(ロマンティックコメディー?かな)路線で、いい加減嫌気が差していた一条さんがついに自分が描きたいってものを描いて、人気が出た作品だそうです。

 いやいや、読んだら、すごいってものじゃないよ、すごい!!!!!!

 もうね、「赤いシリーズ」なんて目じゃないぜ(知っている?)、もちろん韓国ドラマも問題外です。展開速いわ、そんなことあるわけないじゃんシュチュエーションが続出だわ、やたらめったら大げさだし、金もち多いし、あの時代の漫画ってみんなこうなのね。だって、だって、主人公は18歳で、超人気モデルで、何故か車の運転がF1ドライバー並みにうまくて、でも生まれてすぐに養女に出されて、その育ての親はすぐ死んでしまい、孤児院で育ったが12歳で脱走し、食うや食わずで、いまのトップモデルまでのしあがっている。しかも、何故か酒飲んでいるし、よくわからないコンツェルンの18歳のオーナーが近づいてくるし、30代後半の男性に恋をしかかったら、実は自分の父親だと判明するし。。。

 自分を捨てた母が、仕事でつきあっている有名デザイナーと知って、事故をおこし、モデルをできなくなったと思ったら、コンツェルンの18歳オーナーが、デザイナーになって母を抜いてトップになり復讐すればと近寄ってくる・・・・・ 

 まあまあ、都合のよいことにデザイナーの才能があったりするのよね~~もちろん超英才教育は受けるんだけどね。しかも!18歳オーナーは、やたらと主人公のことを知っていて、彼も孤児だったらしい。。。そこで、気づけよ!って思うのだけれど、主人公は気づかない。そのうち二人は近寄りだし、ついに恋におちる・・・と、なんと最後には二人は双子だったと・・・なんじゃそりゃ!主人公は母親は憎悪しているが、男の家族にはことごとく恋をする・・・でも、気づいていないのは、主人公だけで、少し考えれば彼らが自分とどんな関係かはわかると思うんだけどね。

 というわけで、超荒唐無稽な設定で、スピード感ありありです。

 結局、一条さんは何を描きたかったのか?主人公は、最後には仕事ではなく、恋をとろうとする。結果、真実が判明し、あれだけ強かった主人公は自ら命を絶つ。そして、知っていながら禁断の恋に進もうとした双子のもう片方は、精神的におかしくなり、10歳にまで後退する。一方、デザイナーになるために、自分の子供を捨て、一時はトップに立ちながら、自分の娘に追い抜かれた母親は、再チャレンジするために、またフランスへ向かう。

 結局は、母親の勝利?自分が持つことのできなかった家族や愛情という、暖かなものを求めようとした子供たちは、結局は不幸になり、仕事に生きるため家族を捨てた母親はいまだに生きていて、なおも仕事に向かい続ける。それを母親の勝利と読むべきなのか?もしくは母親の妄執の前に、家族は皆敗北したと見るべきなのか?

 って、だったら、結婚するなよな!子どもつくるなよ、あんた。って感じだけどね。

 まあ、当時の漫画ですし、大げさな環境や大げさな悲劇が、受けるのかな?もしくは、それまで描いていたロマンチックなシュチュエーションの反動かも・・・そうだと考えると、相当気持ちよく描いたのだろうなあ。。だって、話の展開は早い、早い、そして、まあスゴイセリフが飛び交います。デザイナーの勉強をさせられた主人公が1ヵ月後にショーを開くことになるが、自分のデザインが直されていることに怒ると、18歳オーナー(実は双子の片割れね)は、「直されるのがいやなら、なぜもっと勉強しなかったのですか?」それに対し、努力したわと食い下がると、「1ヶ月でマスターしろといったはずです。できもしないで文句だけ言うのですか?」だって。すっげー、すごすぎる。こんなこと言えたら、気持ちはいいよね。でも、ありえない状況だなあ。。。こういうセリフが結構目白押しです。うん、どう考えても、一条さんのストレス発散作品だな。

 

2009年3月24日 (火)

恋愛少女漫画家

 今日は、お仕事で片道1時間20分程度の移動時間があった。まあ、移動時間があることはよくあることだが、軽めの本を読んでいたので、今回は2冊の本を読んだ。「札幌学」と「恋愛少女漫画家」

 「札幌学」はえ~っ?それはないのではということも無くはなかったが、全般としてそうか、客観的に見るとそうなのねと。そして、どうしても「官にお頼り文化」、「自分たちの力でどうにかしようという気持ちの希薄さ」、これは指摘されてしまう。でも、それはその通りな気がする。ここは、反省ですね。歴史が浅いとか、経済基盤が弱いとかいろいろな言い訳はあるかもしれないが、でも、それは所詮、言い訳。少し頑張らないとならないな。

 でも、今日のテーマは「恋愛少女漫画家」。一条ゆかりさんのエッセイ。1949年生まれの彼女は、なんと60歳なのね!そして、1968年デビューなので、19歳でデビューか・・・

 実は、私、一条ゆかりさんの漫画は読んだことが無い。「砂の城」とか「有閑倶楽部」が有名。でも、読んでいないんだな。別に、漫画は嫌いだった訳ではなく、あれば読んだのだが、我が家では漫画は推奨されていなかった気がする。私が小学生、中学生の頃は、漫画雑誌全盛の頃で、少女マンガであれば、「なかよし」、「りぼん」、「別冊マーガレット」が主流。でも、我が家では購入されていなかった。結果として、連載ものについては全然知らなかった。中学の時に、友人の話題についていけなかったので、貸してといって、槇村さとるの「愛のアランフェス」を読んで、槇村さとるは好きになった。あの「ベルばら」でさえ読んだのは会社に入ってから。文庫版の「ベルばら」を大人買いして初めて全部を知った。ただ、あの男勝りなオスカルがようやくアンドレへの愛を自覚し(遅いんだよ!)、ついにベッドシーンという時(この表現も古いな)、突然おとなしくなっちゃうのが、そりゃ無いでしょう、と思ってしまったが。いやあね、大人になっちゃっているから、素直に受け入れられないのよね。まあ、当時の恋愛感では、女性はリードされるものだからなあ・・・あと、「エースをねらえ」も大人買いだったな。あれは、もっと笑えたが。。だって、やたらめったら重いのよね。高校生なのに、人生背負っているのよ。恋愛するのも命がけなのです。「男なら、女の成長を妨げるような愛し方はするな」と、コーチが岡ひろみのボーフレンド(藤堂さんだったかしら)に言っちゃうのよね~~すげっ!!そこまで、守られなきゃいけない存在なのか、岡ひろみ。結構、大きなお世話だよな。一方、お蝶夫人ときたら、自分は捨石だと。先駆者は孤独だ、自分は次世代のための捨石なのだ、と言ってのける。あなた、本当に10代ですか!!!

 ちなみに槇村さとるさんのエッセイも読んだ(「イマジン・ノート」)。たぶん、一条さんとはちょっと世代が違うのかな?デビューは1973年。ただ、彼女のエッセイは結構重い。重くのしかかる父親との関係。「アランフェス」が最初の代表作で、ただ、彼女は自分は「人」が描けなかったと。だから、スポーツを描いたという。スポーツというか、槇村さとるはフィギュアスケートやダンスを描いていた。そして、彼女の絵は良かった。変に甘すぎず、でも、綺麗な絵。そして、自分と親の関係、家族の関係を、ある意味正面きって受け止めて描いた「白のファルーカ」。私は、これがアランフェスよりも好きである。アランフェスは、う~ん、ある意味人間関係に現実感がない。中学生の頃にはわからなかったが、大人になって読み返した時、ちょっと違和感。しかし、ファルーカには共感できるものがある。おそらく、そこに作者の思いが出ていて、そこには共感できる何かがあったのだと思う。

 と、前置きが長くなったが、「恋愛少女漫画家」。読んだことがないから、作品と彼女の性格の比較はできないが、ある意味、槇村さんと比べると、やたらめったら潔い。変に迷わない。一条さん自身、実は貧乏で、槇村さんの重たい父親との関係(性的虐待まであったらしい。)まではいかないが、お父さんはダメダメ君で、優秀な経営者であったお祖父さんの次を継いだ2代目であったが、結局、身上食いつぶし、破産。その後も現実を見ることができず、事故で亡くなってしまう。なので、貧乏で苦労したらしいのだが、何故か、早いうちから「漫画家になる」と決めていた。そして、現実になるのだから、スゴイ。高校の時に、新人漫画賞を受賞し、その授賞式が高校の定期試験と重なった。就職のためなら、欠席ではなく、後日試験をうけさせてくれるのだが、残念ながら一条さんの場合は、校長が却下。でも、そんなことは気にせず、一条さんは授賞式に向かう。また、自分を漫画家として成長させるためなら、とことん自分を追い込む。あるデザイナーさんの色使いに感心し、教えてくれと。「幼稚園以下だな」と酷評されながらも、ひたすらに食い下がる。好きなキャクラクターだけ描いていてはだめと、嫌いなキャラクターを主人公にする。自分のようにあくの強い(ごめんなさい、一条さん)「名もあり、豊かに、美しく!」を目指せ!というのが、本当は好きなキャラクター、でも、反対のキャラクターも描かなければと、「砂の城」を描くのだ。いつもうじうじしていて、流されやすくて、都合のよいときに甘さを出し、頭ではなく、感情が優先する子供な女。それをいやだいやだと思いながら、描ききる。自分は一条ゆかりという漫画家であるということが、彼女の最優先のアイデンティティなのである。(「砂の城」と「有閑倶楽部」くらいは読まないとなあ。「有閑倶楽部」は「砂の城」を描いている時のストレスを、思いっきり発散させていた作品だそうだ。)

 たまたま、槇村さんと一条さんのエッセイを読んでしまったので、なんとなく二人を対比させてしまうが、たぶん、共通項はあるのだろう。でも、たぶん、槇村さんの方が葛藤している。一条さんが葛藤していないわけではないが、彼女は吹っ切れているように感じる。自分は「変わっている」といわれると、いや、自分はフツウだ。でも、「変わっている」んですよ、きっと。すでに吹っ切れているから。そういう人はなかなかいないのでしょう。さらに一条さんは言ってのける。今の新人はダメだ。レベルが下がっていると。そして、日本の漫画界のために何かするなんて、漫画家が考え出したら、お終いだ!何が悲しくって、ライバル育てなきゃあかんの!さすがだ、さすが過ぎる。彼女は生涯現役なのだ。だから、若手はライバル。上から目線なんてとんでもない。もっとプロになるには、もっと匠になるにはどうすれば良い?彼女はそう考えるのだ。そして、漫画家になりたきゃ、自分で這い上がって来い!なのだ。

 時代はたぶん変わってしまっていて、昔の「漫画家」というのは、ある意味時代の最先端の職業(職業というのが適切なのか?)だったのでしょう。今でいうサブカルチャーではなく、現在世界に誇れるマンガ文化を築くにいたる礎を作った時代。だからこそ、天才のような人たち、自分たちで這い上がれる人たちが主流だった。だが、現在は、それをどう継承していくのか?世界が「マンガ文化」を認め、世界がその人材を輩出するようになるであろう今、どうなるのでしょうね?個人的には、一条さんの「自分で這い上がって来い!」は大賛成。でも、きっと、日本以外では自分で「這い上がれる」人たちが、漫画家になるのだろうけれど、本家の日本ではそうもいかないのだろうな。

 ただ、確かに、漫画家自身が「日本の漫画界のために」なんて、考えてはいけないのかもしれない。それを考えるのが、編集者だったり、出版業界だったりなのだろうけれど、今や、漫画も読まれなくなっているのが現実なので、難しいのだろうな。でも、世界に誇れるコンテンツを持っているのだから、なんとかしたいものです。

 でもね、やはり漫画は綺麗な絵であって欲しいし、安易な「シュール的表現」や「残酷さ」に行かないで欲しい。残酷さやシュール的な表現って、表現方法としては安易だと、私は思っている。というのは、考えに考えなくてもできるから。なのに、最近多いんだよなあ。そして、よくわからない表現をしておいて、「シュール」だという。いやいやそれは自己満足でしょう。読み手を意識していないよ。もっと練りに練って欲しいし、自分の人生や思いを表現して欲しいと思う。最近のミステリーも、安易に猟奇的事件を描きすぎる気がする。そりゃあ、強烈だけど、もっと人の内面を描いて欲しいと思うし、作品の中に自分を投影して欲しいと思う。それが人の共感を得るものだから。

 そう!WBC、勝ちましたね!!良かった良かった。原采配も当たったし、イチローも今日は決勝点たたきだしたし、これで訳のわからないバッシングを受けなくて済む。良かった!!

2009年3月22日 (日)

テレビって・・・・

 昨日、適当にテレビのチャンネル変えていたら、「テレビのこれから」なんてNHKの特番にぶち当たった。ふ~ん、と思ってちょっと見てみた。ちょうど、これからの視聴スタイルがどうなるかというのを、テレビの製作者側と視聴者側に質問をしていた。1.時間にとらわれずに見るスタイルが増える 2.決まった時間にテレビを見るスタイルは変わらない というような2択(質問は正確ではないけれど、内容はあっていると思う)で、結構驚いたのが、製作者側がほとんど2を選んだのよね。視聴者側は1のほうが多かった。

 でね、なぜか、制作者側はなんかなんとなく怒っている感を漂わせているんだよね。途中から見たし、ほとんど終わり頃の時間だったから、経過はわからないのだけどさ。何かね、自分たちはリアルタイムに見て欲しい(いや、生放送という意味ではなく、その初めて公共の電波に乗る時間そのものにってことね)、そういうつもりで作っているんだって。

 あらそう、頑張ってね。

 ねえ、そうだよね。別に作る側がどんな思い込めてようがどうしようがさ、「頑張れば」としか言えないよ。あなたが頑張っているんだから、私はその時間にちゃんと見るわよなんて義理は何も無いよ。だって、私、あなたの知り合いでもなんでもないもん。面白い番組で、たまたま家にいればその時間に見るし、その時間に家にいなくて、それでも見たいなと思ったら録画するし、別にどうでも良かったら、見ないだけの話だ。

 そんなもんなんじゃないの?確かにさ、自分の仕事にプライド持っているのは良いけれど、でも、テレビ人じゃなくたって、結構皆、自分の仕事にプライド持っているもの。どんな面白いテレビをやっていようと、自分の仕事でもうその日は早く家に帰れなかったら、たとえ録画予約していなくたって、帰らないで仕事するよ。久しぶりに会う友人から連絡あったら、一緒に飲むさ。テレビを優先する?何か、上から目線過ぎないか?

 誰だって頑張っているし、誰だってプライド持って生きているんだよ。自分たちだけが危機的状況にいるとでも?とっくの昔に、世の中は変わりつつあって、残念ながら、テレビ人、たぶん制作サイド側の人が一番、鈍感なのではないかな?と思ってしまうのよね。タレントは、意外と飽きられたり、事件起こせば干されるし、結構、世の中に敏感じゃないとならないけれど、テレビ制作者の人は実は会社員だもんね。アナウンサーはなんとなく、肩たたかれたり、干されたりしていそうに見えるけれど。それ以外の人は?それに、制作そのものが、実は下請け会社に発注していたりしてね。そして、問題が発覚すると、制作会社のせいにして終わっているケースもあった気がする。でも、発注者の責任は?放送会社としての責任は?

 結構、視聴者は冷静に見出しているのですよ。テレビの仕事にあこがれて、そういう仕事を始めただろうから、「憧れの仕事」をしているという気持ちありありなのだろうけれど、逆にそれだけ厳しく見られるってことですよ。

 糸井重里さんがその番組に出ていて、彼は優しいというか、制作者サイドに暖かな目線だったけれど、彼の言葉は印象的だった。「もう変化せざるを得ないというか、もう変わってしまっている」的な発言。すみません、これまた正確じゃなくて。でも、こんな感じ。彼は、年齢的に大人になっていっても、「おやじ」感性になってしまわない人ですね。大切なことですよ。

 そして、なんとなく、有吉弘行の出ていた番組をyoutubeを見てしまったが、彼が一発屋の定義として言っていた。「世間が一発屋だと決めてしまう」

  確かに、その通り!! 訳わからないままに、テレビ番組と世間に弄ばれてしまった人の言うことは深いわね。そして、奴は面白い。視聴者目線があるからのような気がする。

2009年3月21日 (土)

イチローと一郎

 ようやく、イチローが打ちましたね良かった、良かった。だってね、イチローは外せないじゃないですか。これで決勝トーナメントに行けなかったら、どんなバッシングにあうか。考えるだけで恐ろしいわ。マー君がホームラン打たれちゃったのが、残念だけれど。でも、悪くないよね。そして、やはり青木が良い!!!あと、稲葉も良いわ!!シーズン入っても頼むよ!後、原采配が意外にあたっているし、高代コーチのアメリカの評価が良いらしいね。ノッカーが正確だってことで、それが日本の守備の良さにつながっている。確かに、日本の守備は良い。高代さんってどこのチームだったっけ?と思っていたら、元日ハムなのよね~~思い出せなかったのが、残念。

 さて、一方、小沢一郎さんです。西松建設の企業献金問題が出てしまいましたね。昔の政治家だもんね。絶対、たたくと埃が出るよね。まあ、なんていうか、民主と自民のこの話題には触れないでおこうなんていう雰囲気が見え見えで、国民が冷めてしまっていますよ。民主党に言いたいのは、小沢さんには代表を辞めてもらうべきだと思うよ。民主党内は小沢さんを評価しているけれど、残念ながら、国民には小沢さんは人気は無いと思う。先手を打つべきですよ。ここで、小沢さんに辞めてもらった方が、自民党に差もつけられるしね。

 それにしても、麻生さんがまた調子に乗り出しているみたいだけれど、おバカ発言連発する前に、これまた辞めてもらった方がいいと思うよ。いやね、どんなにおバカ発言しようと、ハートがあるとかさ、この事態をなんとかしようとか、何かを変えようとか、感じられるものがあれば良いのだけれど、無いんだよね~あの方。空っぽに見えるの。ごめんね。申し訳ないけれど、何か反感持ってしまうのよね。

 おっと、タイトル的にはイチローと一郎と太郎だったか。

 イチローも、戻っておいでよ。オリンピックとかWBCで、日本チームにいる時のはしゃぎっぷりを見ていると、つらいのかなあ?と。野球自体というよりも、人間関係?日本の方が安心できるのかしら。戻っておいでよ。

2009年3月15日 (日)

歌いたいよ~!

 ああ、Clime Every Mountainが歌いたいたぶん、カラオケには無い。仕方が無いから、風呂場で歌っているけれど(なんでやねん)でも、歌いたいよ~ チクショウ!!思いっきり、歌いたいぞ。なぜかは聞くな。

2009年3月 8日 (日)

地球のつまみ方

Image066  村上春樹さんたちの「地球のはぐれ方」のパクリです。もちろん、それも「地球の歩き方」のパロディだけど

 大人だって、遊びたいし、はしゃぎたいし、バカやりたい!ついでに、自分が大人だなんて思っていない。いつになったら大人になれるのかな~って。そんなわけで、たぶん全員40代(もしかすると、一人は50才になっているかも・・・)、平均年齢45.5才の仕事を通して知り合った男女4人は、出張をあわせて東京に集結。さあ、どこに行く?それはもちろん、東京一の観光地、「浅草」。

 ところで、浅草寺ってどんなお寺か知っています?パンフレットによると、推古天皇の時代(628年)に隅田川で漁師をしていた兄弟が観音像をすくい上げ、その観音像を祀ったのが始まり。ひぇ~、そんなに古いの?だって、まだまだそのころの東京はど田舎でしょ。「あずま」呼ばわりされて、バカにされていたのよね。すごいなあ、そんなに古いのか。そして、いまだに残っているのか、その観音像???

 さて、9時30分雷門集合だったのだけれど、9時に着いちゃいました。最年長のSさんから電話があり、20分遅れると。(ちなみにSさんは携帯を持っておらず、着信相手は「公衆電話」とでる)浅草寺境内でもふらふらしてようかなと歩こうとすると、Wさんと遭遇!はやっ!なので、まずは2人でふらついていました。どうせMさんは前の日「飲み」だから、行けないかも~~と言っていたので、来ないかなと。ところが!メールが入った。「どこにいるの~」と、ごめんごめん。来てたのね。「9時に着いていたのに~」って、みんな9時に着いていたのかい!どんなに張り切っているんだ!というか、Mさんは関東在住(埼玉だけどさ)だけど、移動時間読めずに思いがけず早く着いたらしい。

 なんだかんだで3人終結して騒いでいるうちに、Sさん到着。ってわけで、4人そろいました。お天気が良くてね。昨日の雨がうそみたい。そしてこれが小春日和って言うのかしら?日差しがあたると気持ちが良くって、散策にはうってつけでした。

 仲見世を通り抜け、浅草寺で参拝。さすがに大きい!門に下がっている大きな提灯の下の部分を、ひっくり返って写真とっているおじちゃんがいました。やはり、ここにきたらお御籤ひかないとね。100円。安い。いや、普通100円なんだろうけれど、こんな有名なところだともっと高いような気がしてしまう。とはいえ、とりあえず引いた「半吉」。半吉?半吉って何さ?聞いたこと無いぞ。ちなみにお御籤は「凶、吉、末吉、半吉、小吉、末小吉、大吉」の7種類だそうです。知っていました?私は初めて知った。一緒にお御籤を引いたMさんは「凶」でショックを受けていた。

 さてさて、今日のメインは実は「花やしき」。日本現存最古のジェットコースターに乗るのが、本日の目的。Sさんはさらには昼から「お酒」を飲むのがもう一つの目的だったと、私はにらんでいる。Image067 変な写真でごめんなさい。花やしきに入場した時の写真がこれ。狭いですよ。そして、なんていうのかしら?ちょっと異次元っていうか、異空間に来た気分。そして、遊園地に来るのなんて、20年ぶりくらいよ!ちょっとワクワクドキドキ感です。Mさんは、「私、今でも、後楽園遊園地とかに友人といっているよ~」。なんとそうか、いいなあ。

 我々は乗り物を3つに絞った。スペースショットとローラーコースター(これが最高時速42km/h日本現存最古のジェットコースター)と、ディスク・オー。まずは、スペースショット。いわゆるフリーフォールみたいなものなんだけれど、そこまでの高さはない。4人で乗り込み、バーで固定される。きゃー、何かドキドキするわあ!だって久しぶりなんだもん。正直いうと怖い!これからどうなる?「5、4、3、2、1」のカウントダウンで、身体はさーっと勢い良く登る!「わ~っ」、ここが一番怖かった。上るのはそれほどの距離ではなく、その後は、ふわっと下がり、またふわっと上る。ひんやりとした春の空気が心地良くてね。気持ちよかったあ。結構すぐに終了。なんとなく皆の顔が引きつっていて、足がふらついていたような気もした。次は、さあメインイベントの「ローラーコースター」日本最古ですよ。1953年完成。思ったより小さいし、なんと一番前じゃないの。しかも、帰ってきたコースターのスピードを見ると、42km/h?いやいや、そんなんじゃないよ!結構速い!大丈夫か。さて、乗り込むとゆっくりとコースターは上る。上る、上る、うわ~っ、そうよ、そうよね、この感覚。ここが一番怖いのよ~高まる期待と、不安。さ~て上りきりました、これからが降下です。狭い!狭いよ~。だってね、普通のジェットコースターって、もっと高い位置で、もっと広々とした空気感の中をすっ飛ばすでしょ。でも、花やしきは違います。全体的にごちゃごちゃっとした、ちまちまとしたスペースに、きっちりと収まった乗り物たち。その中をコースターは通り抜ける。昔をイメージした建物やお風呂屋さんを通り抜け、あっという間に終了。足りない!もう1周してくれ~!

 で、一同、次に向かいましたが、またしても若干顔が引きつっていたと思う。最後はディスク・オーです。円状にセットされた椅子に外側を向いて座ります。それが回転しながら、上っていったり、下りて行ったり。ちょっと酔いそうな感じでしたが、空には雲がなく、風を感じながら、青空に投げ出される感が良かった。ビルがたくさん見えたけど、この辺はきっと昔はビルもなく、平屋だったんだと思おうとしながら、浸ってみました。気持ちよかったな。

 とはいえ、平均年齢45.5才です。花やしきとはいえ、この乗り物3連発には少々疲れた。いや、皆、そんな「疲れた」なんて口には出しませんでしたよ。でも、多少なりとも皆、ダメージを受けていたと思う。

 そこで、花やしきを後にし、どこかで座ろうかと出ようとしたら。。。Image069_2  これまた、下手な写真でごめんなさい。売店があったのです。そして、坪井さんです。確か、坪井菊さんとか、坪井良子さんとか、坪井つぼみさん・・・なんのこっちゃ?そう、坪井家ですよ。つぼ押しボールぺンから、足ふみマットまで、坪井一族大集合。これは、「今日一か?」と思ったが、もっと強烈なのが、最後に登場します。少々、坪井さんで盛り上がった後、六区に向かいました。もつ鍋&ホッピーゾーンです。11時をちょっと回ったくらいでしたが、座っちゃえ~、のんじゃえ~。私を除く3人はホッピー頼んでいました。ホッピーとは何ぞや?1948年誕生のビアテイスト清涼飲料水、だそうです。(すみません、今、ホッピービバレッジのホームページ見ています。)そうか、ホッピーはお酒じゃないのか、だから焼酎をホッピーで割るのか。しかも、黒ホッピーというのがあったのだけれど、ホッピービバレッジ株式会社さんによりますと、黒ホッピーは1992年製造開始。飲んでいる時、ガラナとの関係性についても話題が出たが、1963年にガラナ製造販売開始。おやっ、関係があるのね。Wさんは北海道出身で、昨年10月から東京単身生活だが、ホッピーは札幌にはあまり無かったねと、東京にはずいぶんあるよと。ただ、それはWさんが蒲田とか新橋で飲むことが多いからではないのか?

 その次には、江戸下町伝統工芸館に行ってみました。う~ん、ここはちょっと期待はずれかな。建物には風情があまりなく、展示も少なかった。ので、早々に出てきて、そうだ!もんじゃ!だよ。もんじゃを食べないと。札幌在住のSさんと私はもんじゃを食べたことが無い。大阪生まれで埼玉育ち?のMさんの反応は「え~っ!」さらに、家でお好み焼きなんて作らないというと、さらに「え~っ!」そうね、そうよね。札幌でもんじゃの店なんて見たことないし、お好み焼きは家ではあまり作らない。我が家は、なぜか母親が何でもやってみたがりなので、家でも作ることがあるが・・・20代の頃は、京都出身の友人の家を皆でたまり場にしていたので、そこでお好み焼きを作っていたりもした。とろろ芋入れないとだめらしいのよね。でも、言っている当の本人がとろろ芋でアレルギーおこす体質で、結局、ジンマシン出していたような気がする。そんなことはどうでもいい。初もんじゃ、食べました。

 工芸館から戻って、ホッピーともつ鍋の通りを過ぎたら、もんじゃ屋さんがありました。狭い店内の奥に入り、もんじゃ2種類とお好み焼きを注文。SさんとWさんは冷酒。いっちゃいましたよ、冷酒ですよ。さて、もんじゃの作り方です。カップの中に水っぽい液体と具が入ってきます。その具を取り出し、鉄板上でその具を広げ、それをヘラ(っていうのかな?)を使って出来るだけ細かく砕きます。(って、Mさん力説していた。もんじゃの店のおばちゃんにそう言われたって。「腱鞘炎」になるまでやれ!)そして、十分に砕いたら、それを広げ、液体を流し込むスペースを空けて土手を作ります。そこに、液体を流し込み、そこに青海苔とか、ソース等で味付け。グツグツといい感じになってきたら、土手を混ぜ合わせて、手元の小さなヘラでちょっとずつとって、鉄板に少し押し付け、ヘラにくっつけてひっくり返すとうまくすくえるので、それを食べる。おいしいっ!ってものではないけれど、ちょっとずつ食べて、うだうだするには良いかも。Sさんはうまくすくえなくて、Mさんにバカにされていたが、見ていたらたぶん一度にたくさん取りすぎ。なので、ヘラにくっつかなかったのでしょう。Wさんは「冷酒、もう1本!」っておいおい3本目だよ、それ。もう、みんな完璧な酔っ払い。飲めない私もとろんとしてきた。「今日、仕事しようと思っていたのに、絶対できな~い!」と、Mさん。間違いなく無理だ。

 気がつけば3時。あらあら、あと1時間したら、行かないと、飛行機に乗り遅れちゃう。ずいぶんと、もんじゃでのんびりしちゃった。Image071_2_2  次は?じゃあ「甘味」だ。って、食べてばっかり。でもまあいい。地下鉄方面に向かって歩きながら、甘味処を探した。で、途中で出会ってしまった。「今日一」です!!!笑ったよ、大笑い、このモデルたち。写真撮ろうとしたら、男性陣が並んだので、一緒にハイチーズ。一応、プライバシー保護のため男性陣の顔にはスプレーしておきます。でも、知っている人が見ると、わかるだろうな。もうね、おかしくて、おかしくて、今日一でした。一時お腹痛くて、呼吸困難に陥った。

 そんなこんなで、浅草珍道中。思いつくまま気の向くまま、大人たちがバカやっています。楽しかった。またやりたい。次は私の中では皇居一周ねらっています。こんなバカな珍道中にはならないかもしれないけれど、だって、皆、わかっている?江戸城なのよ!江戸城。無血開城したあの江戸城よ。徳川幕府約260年の怨念(かどうかは知らないが)が、きっとどこかに漂う江戸城ですよ。桜田門も見たい。井伊直弼は冷血漢のイメージを持っていたが、「篤姫」の中村梅雀の演技を見ていたら、その印象は変わった。もしかしたら、使命をわかって行動していたすごく理知的で冷静な人ではないかと。おっと、珍道中にならないぞ!でも、参加するメンバーがお茶目な大人であれば、珍道中になるかな。参加者募集中です。春になったら、皇居一周だ!

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