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2009年3月24日 (火)

恋愛少女漫画家

 今日は、お仕事で片道1時間20分程度の移動時間があった。まあ、移動時間があることはよくあることだが、軽めの本を読んでいたので、今回は2冊の本を読んだ。「札幌学」と「恋愛少女漫画家」

 「札幌学」はえ~っ?それはないのではということも無くはなかったが、全般としてそうか、客観的に見るとそうなのねと。そして、どうしても「官にお頼り文化」、「自分たちの力でどうにかしようという気持ちの希薄さ」、これは指摘されてしまう。でも、それはその通りな気がする。ここは、反省ですね。歴史が浅いとか、経済基盤が弱いとかいろいろな言い訳はあるかもしれないが、でも、それは所詮、言い訳。少し頑張らないとならないな。

 でも、今日のテーマは「恋愛少女漫画家」。一条ゆかりさんのエッセイ。1949年生まれの彼女は、なんと60歳なのね!そして、1968年デビューなので、19歳でデビューか・・・

 実は、私、一条ゆかりさんの漫画は読んだことが無い。「砂の城」とか「有閑倶楽部」が有名。でも、読んでいないんだな。別に、漫画は嫌いだった訳ではなく、あれば読んだのだが、我が家では漫画は推奨されていなかった気がする。私が小学生、中学生の頃は、漫画雑誌全盛の頃で、少女マンガであれば、「なかよし」、「りぼん」、「別冊マーガレット」が主流。でも、我が家では購入されていなかった。結果として、連載ものについては全然知らなかった。中学の時に、友人の話題についていけなかったので、貸してといって、槇村さとるの「愛のアランフェス」を読んで、槇村さとるは好きになった。あの「ベルばら」でさえ読んだのは会社に入ってから。文庫版の「ベルばら」を大人買いして初めて全部を知った。ただ、あの男勝りなオスカルがようやくアンドレへの愛を自覚し(遅いんだよ!)、ついにベッドシーンという時(この表現も古いな)、突然おとなしくなっちゃうのが、そりゃ無いでしょう、と思ってしまったが。いやあね、大人になっちゃっているから、素直に受け入れられないのよね。まあ、当時の恋愛感では、女性はリードされるものだからなあ・・・あと、「エースをねらえ」も大人買いだったな。あれは、もっと笑えたが。。だって、やたらめったら重いのよね。高校生なのに、人生背負っているのよ。恋愛するのも命がけなのです。「男なら、女の成長を妨げるような愛し方はするな」と、コーチが岡ひろみのボーフレンド(藤堂さんだったかしら)に言っちゃうのよね~~すげっ!!そこまで、守られなきゃいけない存在なのか、岡ひろみ。結構、大きなお世話だよな。一方、お蝶夫人ときたら、自分は捨石だと。先駆者は孤独だ、自分は次世代のための捨石なのだ、と言ってのける。あなた、本当に10代ですか!!!

 ちなみに槇村さとるさんのエッセイも読んだ(「イマジン・ノート」)。たぶん、一条さんとはちょっと世代が違うのかな?デビューは1973年。ただ、彼女のエッセイは結構重い。重くのしかかる父親との関係。「アランフェス」が最初の代表作で、ただ、彼女は自分は「人」が描けなかったと。だから、スポーツを描いたという。スポーツというか、槇村さとるはフィギュアスケートやダンスを描いていた。そして、彼女の絵は良かった。変に甘すぎず、でも、綺麗な絵。そして、自分と親の関係、家族の関係を、ある意味正面きって受け止めて描いた「白のファルーカ」。私は、これがアランフェスよりも好きである。アランフェスは、う~ん、ある意味人間関係に現実感がない。中学生の頃にはわからなかったが、大人になって読み返した時、ちょっと違和感。しかし、ファルーカには共感できるものがある。おそらく、そこに作者の思いが出ていて、そこには共感できる何かがあったのだと思う。

 と、前置きが長くなったが、「恋愛少女漫画家」。読んだことがないから、作品と彼女の性格の比較はできないが、ある意味、槇村さんと比べると、やたらめったら潔い。変に迷わない。一条さん自身、実は貧乏で、槇村さんの重たい父親との関係(性的虐待まであったらしい。)まではいかないが、お父さんはダメダメ君で、優秀な経営者であったお祖父さんの次を継いだ2代目であったが、結局、身上食いつぶし、破産。その後も現実を見ることができず、事故で亡くなってしまう。なので、貧乏で苦労したらしいのだが、何故か、早いうちから「漫画家になる」と決めていた。そして、現実になるのだから、スゴイ。高校の時に、新人漫画賞を受賞し、その授賞式が高校の定期試験と重なった。就職のためなら、欠席ではなく、後日試験をうけさせてくれるのだが、残念ながら一条さんの場合は、校長が却下。でも、そんなことは気にせず、一条さんは授賞式に向かう。また、自分を漫画家として成長させるためなら、とことん自分を追い込む。あるデザイナーさんの色使いに感心し、教えてくれと。「幼稚園以下だな」と酷評されながらも、ひたすらに食い下がる。好きなキャクラクターだけ描いていてはだめと、嫌いなキャラクターを主人公にする。自分のようにあくの強い(ごめんなさい、一条さん)「名もあり、豊かに、美しく!」を目指せ!というのが、本当は好きなキャラクター、でも、反対のキャラクターも描かなければと、「砂の城」を描くのだ。いつもうじうじしていて、流されやすくて、都合のよいときに甘さを出し、頭ではなく、感情が優先する子供な女。それをいやだいやだと思いながら、描ききる。自分は一条ゆかりという漫画家であるということが、彼女の最優先のアイデンティティなのである。(「砂の城」と「有閑倶楽部」くらいは読まないとなあ。「有閑倶楽部」は「砂の城」を描いている時のストレスを、思いっきり発散させていた作品だそうだ。)

 たまたま、槇村さんと一条さんのエッセイを読んでしまったので、なんとなく二人を対比させてしまうが、たぶん、共通項はあるのだろう。でも、たぶん、槇村さんの方が葛藤している。一条さんが葛藤していないわけではないが、彼女は吹っ切れているように感じる。自分は「変わっている」といわれると、いや、自分はフツウだ。でも、「変わっている」んですよ、きっと。すでに吹っ切れているから。そういう人はなかなかいないのでしょう。さらに一条さんは言ってのける。今の新人はダメだ。レベルが下がっていると。そして、日本の漫画界のために何かするなんて、漫画家が考え出したら、お終いだ!何が悲しくって、ライバル育てなきゃあかんの!さすがだ、さすが過ぎる。彼女は生涯現役なのだ。だから、若手はライバル。上から目線なんてとんでもない。もっとプロになるには、もっと匠になるにはどうすれば良い?彼女はそう考えるのだ。そして、漫画家になりたきゃ、自分で這い上がって来い!なのだ。

 時代はたぶん変わってしまっていて、昔の「漫画家」というのは、ある意味時代の最先端の職業(職業というのが適切なのか?)だったのでしょう。今でいうサブカルチャーではなく、現在世界に誇れるマンガ文化を築くにいたる礎を作った時代。だからこそ、天才のような人たち、自分たちで這い上がれる人たちが主流だった。だが、現在は、それをどう継承していくのか?世界が「マンガ文化」を認め、世界がその人材を輩出するようになるであろう今、どうなるのでしょうね?個人的には、一条さんの「自分で這い上がって来い!」は大賛成。でも、きっと、日本以外では自分で「這い上がれる」人たちが、漫画家になるのだろうけれど、本家の日本ではそうもいかないのだろうな。

 ただ、確かに、漫画家自身が「日本の漫画界のために」なんて、考えてはいけないのかもしれない。それを考えるのが、編集者だったり、出版業界だったりなのだろうけれど、今や、漫画も読まれなくなっているのが現実なので、難しいのだろうな。でも、世界に誇れるコンテンツを持っているのだから、なんとかしたいものです。

 でもね、やはり漫画は綺麗な絵であって欲しいし、安易な「シュール的表現」や「残酷さ」に行かないで欲しい。残酷さやシュール的な表現って、表現方法としては安易だと、私は思っている。というのは、考えに考えなくてもできるから。なのに、最近多いんだよなあ。そして、よくわからない表現をしておいて、「シュール」だという。いやいやそれは自己満足でしょう。読み手を意識していないよ。もっと練りに練って欲しいし、自分の人生や思いを表現して欲しいと思う。最近のミステリーも、安易に猟奇的事件を描きすぎる気がする。そりゃあ、強烈だけど、もっと人の内面を描いて欲しいと思うし、作品の中に自分を投影して欲しいと思う。それが人の共感を得るものだから。

 そう!WBC、勝ちましたね!!良かった良かった。原采配も当たったし、イチローも今日は決勝点たたきだしたし、これで訳のわからないバッシングを受けなくて済む。良かった!!

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