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2009年7月に作成された記事

2009年7月25日 (土)

オールスター戦

 幸運にもオールスター戦のチケットが手に入り、昨日、札幌ドームに行ってきた。仕事後に行ったので、ドームに着いたのは19時前。ダルビッシュがなんと1回で降板し、ちょうどマー君に代わったところだった。ダルちゃんが見られなかったのは残念だけれど、マー君が見れたのは嬉しい

 ただ、残念なことに、パリーグは負けちゃった。まあ、オールスター戦は試合としては、真剣さが足りなくて、いまひとつだけれどね。久しぶりの野球観戦だったので、雰囲気が嬉しかったな。

 そういえば、この間の3連休の最後の日、「20世紀スポーツ名勝負 ライバル伝説・・・光と影」という番組をやっていた。そう、江川と西本。かれらの全盛期時代、私は野球が大好きでよく見ていた。そして、西本のファンだった。(だから変わっているといわれるんだよ!)ちょうど長嶋監督が解任され、藤田監督となり、原辰徳が入団した年。西本が春のキャンプに行っている間に、自宅がガス爆発か何かで火災にあい、奥さんが大ケガをした年でもあった。西本はその年3本柱の一角として活躍し、日本シリーズでも2勝を上げ、巨人は日本一となった。 

 江川の「空白の1日」から数年経った年であった。江川のダーティなイメージがようやく少し薄れだしたころでもあった。。(それにしても、むかしから巨人って、好き勝手なことする球団なのね。ちゃんと反省して欲しいわ。)

 西本の打たせてとるピッチングが好きだった。三振は取れないけれど、ヒットは打たれなかった。あのしぶとさが好きだった。あのハングリー精神が好きでもあった。むき出しの闘争心。ドラフト外での入団、強烈な反骨精神、強烈な上昇志向。きっと人に好かれるタイプではなく、テレビ受けするタイプでもない、でも、あの年の日本シリーズで、20勝をした江川が第1戦で負けたとき、西本は負けなかった。ヒットを打たせなかった。何でだろうなあ。好きだった。すごく懐かしかった。

 そして、小谷実可子と奥野史子の間にあんな確執があったなんて知らなかった。ある意味可哀相だが、厳しい世界なんだなあ・・・そして、複雑だ。ライバルというのはそういう複雑なものなのかもしれない。抜こうとするもの、抜かれまいとするもの。でも、決着はついてしまう。その時の自分の感情をコントロールなんてできるのだろうか?難しい。

 でも、それだけ賭けても、挑戦すべき世界であり、踏み出してみたい世界なのだろう。素晴らしいと思う。

2009年7月22日 (水)

この気温差!

 何故か、今、仕事の都合上、東京と札幌を行ったりきたりしている。移動でも疲れるが、この気温差は何なんだ?30度もある東京と、朝・晩は20度を切ってしまう札幌。同じ日本なのに。。。そしてこんなに小さい国なのにね!

Image115_2 ちょっとボケボケだけど、先日、東京で虹が出ていた。この虹の右上にもうっすらともう一つ虹があって、実は二重になっている。ちょっと嬉しくて写真をとってみたけれど、ボケボケだ!残念。

 残念といえば、この間のトムラウシでの遭難。あれも気の毒だった。よくわからないけれど、2000m級の山の縦走は、簡単なものではないだろう。安易に批判するのは良くないが、ツアー会社側の参加者に対する「厳しい」チェックも必要だったのでは?経験とか、体力などを見て、無理そうな人には参加させないなどもいるのではないだろうか?難しいかもしれないが。

 新田次郎の登山ものを高校の時によく読んでいた。初めて読んだのは、「銀嶺の人」。医者で登山家の今井通子さんをモデルにしたものである。非常に面白かった。登山をする人たちの人間関係と、そこに出てくる自然との戦い。私自身は登山やろうなんて思わなかったが、登攀シーンはかなり引き込まれた。でも、必ず登場人物の中には亡くなってしまう人がでる。それだけ厳しいものなのだと思った。登山そのものを否定する気は無いが、でも間違うと命がなくなる世界でもある。会社生活なども終わって、これから人生を楽しもうという方々だったのでは?とても悲しいことだ。縦走なんてしないで、駒ケ岳を登るとかね?あと、キャリアとか体力測定もしようよ!!北海道は夏でも寒い時は寒くなるからね~東京以西の人には想像つかないのかもしれないけれど。それにしても、残念だ。ご冥福をお祈りします。

2009年7月 4日 (土)

マイケル

 タイミングがずいぶんずれてしまいましたが・・・

 そのニュースが流れたのは、2009年6月26日金曜日の朝(日本時間)。Michael Jacksonが呼吸停止状態で、病院に運ばれたと。一部の報道では亡くなったとも。気になりながらも出社したが、その後亡くなったという号外が。

 最初に感じたのは、「切ないなあ」という気持ちだった。あれだけ頂点を極めたスターの晩年は、何か哀しかった。時代も変わったからなのか、ネバーランドでの疑惑や幼児虐待の疑惑など。結婚と離婚、そして借金・・・スターの扱われ方もどんどんスキャンダラスになって行った。

 私はジャクソン5はあまり知らなかった。気がついたら、「マイケル・ジャクソン」として確立していた。洋楽を聴き始めたのは高校の頃。それほどマイケルが好きだったわけではない。1980年代、主にラジオから洋楽を仕入れていた。特に渋谷陽一の番組が印象に残っている。そこでEarth,Wind&Fireを知り、各種洋楽を聴いていた。あとはBilly Joelの「42nd Street」を兄から借りて録音していたり、ChicagoやThe Style Council、TOTOなどなど。当時はCDなども無く、LPレコードを借りてきてダビングしたり、ラジオを録音していた。ラジオから録音して気に入った曲は、歌詞カードもないので何度も巻き戻しては、必死に聞き取りして歌詞を書きとっていた。

 MTVが日本で始まったのは、大学に入った時だったような気がする。マイケル・ジャクソンもこれで大ヒットしたのではないだろうか?私の中ではマドンナの台頭と、マイケル・ジャクソンのヒットがなんとなくつながっている。もちろん、キャリアではマイケルの方が全然上なのだが、1980年代の代表、"entertainment"という分野を確立したと代表という意味で、二人には共通性があるのでは?

 いつしか洋楽はそんなにWorld Wideではなくなっていった。1990年代後半から、日本の音楽はずいぶん変わった。というか、レベルが上がった気がする。80年代までは日本の音楽は「歌謡曲」だった。なんだかんだ言って歌が下手なアイドルも多かった。しかし、90年代後半から、全然洋楽に負けないようになっていった。別に、洋楽を聴かなくても、いわゆるJ-POPで十分だった。

 それは時代なのか?もはや同じものを全員が聴くのではなく、あちらこちらで多様なものが受け入れられる。そうして、マイケル・ジャクソンは音楽シーンから消えていってしまい、代わってスキャンダラスな話題ばかりが中心になって行った。

 スターだったのに、カリスマだったのに・・・・何か、哀しい。

 マイケル・ジャクソンの死は、アメリカが世界の中心から墜ちてしまった今を象徴しているのだろうか。そして、マイケルに冷たかったアメリカに対しての、復讐なのかもしれない。

 

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