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2009年12月に作成された記事

2009年12月29日 (火)

来ましたね、鈴木明子さん

 どうしても、フィギュアスケートですよ 鈴木明子さん。来ましたね~~来ましたよ。”Passion”というか、”emotional”というか、キム・ヨナの表現力に敵うのは鈴木明子ではないでしょうか。これは、バンクーバーオリンピックが楽しみになってきましたよ。

 以前、フィギュア関連のサイトで、「浅田真央はそよ風のような演技をするが、生き生きとした血が感じられない、それに対し安藤美姫は色気があって、女っぽくて良い」みたいな評価をしている人がいたが、いや、比較をするのであれば、浅田真央と鈴木明子でしょう。

 浅田真央は、技術力でもって、重々しい演技を目指しているように見える。まだ、こなれていないけれど。ただ、残念ながら「熱い血」のようなものは彼女からは感じられない。もしかすると、重々しい演技が完成し、自分のものになれば、観客は圧倒されるのかもしれない。

 鈴木明子のステップは凄い。というか、素晴らしい。あの演技力、あのPassion!本当に熱い!この間の全日本フィギュアの瞬間最高視聴率が鈴木明子の得点が出るときであった、というのも納得できる。見ているこちらが引き込まれる、もう得点なんかどうでもいいよ、鈴木明子さん、滑ってくれ!とことん、私たちを圧倒してくれ、あなたは凄いよ!!ステキだよ、点数がどうでようか私たちは感動するよ!!って感じです。

 これから1ヶ月ちょっと。ジャンプやスピンの細かいところを仕上げていってくれれば、これはわかりませんよ、金メダルの行方。キム・ヨナで決まりかなと、ただ彼女は時々フリーで失敗するから、そうなると、真央ちゃんのトリプルアクセル次第かなと。しかし、ここで出てきました、鈴木明子。侮れませんね。正直言うと、真央ちゃんを応援したいのだけれど、鈴木明子の演技にはやられたなあ。評価せざるを得ません。おそらく、メダルがどうであれ、このまま演技を楽しんでくれれば、オリンピックのアイドルになるのは間違いないでしょう。

 ホント、楽しみです。

 それにしても、日本のフィギュアスケートの選手層の厚いこと。

2009年12月26日 (土)

変体かな

  来年はついにオリンピックイヤーですね。やはり、注目はフィギュアスケートですよ!!ようやく、真央ちゃんに笑顔が戻って嬉しいなあ。国内の大会はちょっと点数が高めな気がするけれど、67点台~69点台に4人!すごい展開ですね。私は浅田真央と中野友加里を応援しているのだけれど、今日のショートプログラムは、鈴木明子が良かったと思った。技術はわからないけれど、ドラマティックな感じでね・・・だがしかし!真央ちゃん、頑張ってくれ

 ところで、最近、コミックエッセイが面白い。小栗左多里の「ダーリンは外国人」もそうだけれど(なんと、映画化されるらしい)。今回は「日本人の知らない日本語」 海野凪子さんという人が日本語学校の教師をやっていて、その体験を蛇蔵さんがマンガにしている。で、本当に知らないことが・・・だって、だって、明治以前はかなって一文字ではなく、複数あったって知っていた?花札の「あのよろし」ってかいてあると思っていたのだけれど、あの「の」に見えるかなは、「か」なんですって!!だから「あかよろし」なのです。可をくずしてかなにしている。「か」にも3つとか4つとかあるし、「い」も「ゐ」とか4つくらいある。明治33年の小学校令の改正で、それぞれ1つにしたんですって。

 へぇ~っ!って感じでしょ。いやいや、勉強になった。そして、個性的な外国人たち。中国人の文章がとっても詩的なのが、面白かった。ビジネス文章も詩的に書くらしい。そして、ロシア人のダイアナさんへのLove Letter!!! 日本語でとっても詩なのだけれど、日本語初心者のダイアナさんには理解不能なのだった。頑張れ!張さん(だったと思ったけれど)外国語で詩が書けるのってスゴイと思うな。

2009年12月15日 (火)

ウールリッチ

 いやいや、びっくりしたわ。うちの母親が脚立から落ちて肋骨骨折!しかも4本。東京にいたのだが、あわてて帰ってきちゃった。窓拭きしていたらしいが、もう、脚立禁止!!

 後は、小沢さんね~~~どうしても引っ込んでいられないのね。亀ちゃんとね。人気ないし、考え方が支持されていないのが、わからないのかなあ?宮内庁との問題にしても、まあ、それぞれの立場はわかるよね、でも、宮内庁長官に、辞任してから反対意見を言えというのは、おかしいだろう。反対意見が言えないようでは終わりだ。天皇の政治利用だと警鐘を鳴らす人も必要なはず。もちろん、それぞれの立場で、それぞれの言い分があるのだから、ちゃんと意見は戦わせるべきだろう。天皇の職務内容だって見直すきっかけになるだろう。(行事多すぎだよ。)

 亀ちゃんね~~~何で、あの人を金融・郵政担当大臣にしたのかな。まあ、旧タイプだこと。勘弁してくれ、お金はないのだ。そして、あんたが死んだ後も、生きていく人たちはたくさんいるし、年金だって介護だってうまくいっていないのだよ、目先だけでなく、10年20年後を見据えてくれよ。じゃなきゃ、政治家やめてくれ。

 と、本当は「コーネル・ウールリッチの生涯」 フランシス・M ・ネヴィンズ・ジュニアについて語ろうと思ったのよね。4年前かな、出ていたのをみて、喜んで買った。ハードカバーで上下2巻で6,000円近かったが、ちょうど結構出張でANAのマイルがたまっていて、edyで購入。ウールリッチを語るのは、フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアしかいないと思っていた。

 ただ、意外と難しかった。ので、上は読み、下の途中で挫折していた。で、思い立って読み返しましたよ。まだ、全部は読み終わっていないが、思ったのは、なかなか手厳しいよ、フランシス!!辛口なコメントだった。ウールリッチは全然派手な生き方はせず、一度は結婚経験があるものの、あっという間に終わり、同性愛者でもあったらしい。結局は母親と一緒にホテル住まい。ウールリッチがどう生きたのかとか、何を考えていたのかなどなどはあまりわからず、どちらかというと書評が中心な内容。そして、作家にはありがちであるが、後半は書けなくなってしまったウールリッチについてや、作品としての質が下がってしまったことを淡々と厳しく書いている。

 確かに、ミステリーとしては、どれもこれも考え抜かれたロジックでも、トリックでもない。たぶん、本格派からすれば「?」という感じ。しかし、圧倒的な追い詰められ方の記述。場合によっては、犯人と目され、追い詰められ、時間との戦いの元に無実を証明するために奔走する。または、愛する恋人、もしくは妻が突然消え去る。なのに、周りが最初からそんな人はいなかったと・・・誰に聞いても、見たことない、聞いたことない、そんな人いましたっけ?なんという孤独感、なんという絶望。それを描ききる。

 それに小学生であった私ですら惚れた。「黒衣の花嫁」、「暁の死線」、「黒いカーテン」、「幻の女」。どれも子ども向けに改版されたものだったので、短い長編である「黒いカーテン」以外はいくつかのエピソードがカットされていた。「黒いカーテン」も主人公を助けてくれた女性が、何故か男の子に変わっていたが・・・中学生になって、ちゃんとハヤカワミステリ文庫や創元推理文庫で読んだとき、夢中になった。そして、買い込んだ。短編集から長編まで・・・

 ただ、フランシスは厳しい。「聖アンセルムホテル923号室」。私はこれについて、本当は卒論を書きたかった。(ミステリー作家はコナン・ドイルでさえ卒論でテーマとして扱われていないよと、担当教官に言われあきらめたが)でも、フランシスはそれほど評価していない。「目覚めずして死なば」や「じっと見ている目」という短編も私は結構好きだが、これまた厳しい評価。ただ、追い詰め感やサスペンスを盛り上げるために”不条理”を利用することのあるウールリッチであるが、それがエスカレートし、オカルト調になるのは無理だったな。「死はわが踊り手」とか、「夜は千の目を持つ」などね。それでも「夜は千の目を持つ」は評価を受けているようであるが・・・

 作家というのは難しいのだと思う。あの華麗な筆致であった、あのサスペンスを描ききったウールリッチでさえ、晩年は全く書けなかった。エラリー・クイーンの片割れであるフレドリック・ダネイの依頼で新作短編をといわれても、過去に書いた短編の焼き直しに過ぎなかった。元々が同じテーマ、モチーフを使う作家ではあったが・・・そして、どんどんあまりにも不条理だけになり、不条理を補うことができなくなる。おそらく、ずっと書き続けられる作家は少ないのであろう。最盛期は一瞬なのかもしれない。特に、ウールリッチには本人が孤独なだけに、哀愁を感じる。もの悲しさすら。

 でも、確かにサスペンスの巨匠であったのだ。多くの推理作家が惚れ込んだ。日本に紹介したのは江戸川乱歩であった。どんなに騙されても、多くの編集者が新作短編をと依頼せざるを得なかった。それだけ魅力のあるサスペンスだったのだ。ウールリッチが亡くなったのは1968年。私はその時3歳であった。

2009年12月 6日 (日)

やれやれ

 一難去って、また一難・・・ 少し落ち着いてきたなと思ったら、また考えないとならないことが発生。もう、私のことは放っておいてくれないかなあ。って、サラリーマンだから仕方がないのね。

 さて、伊丹十三 「ヨーロッパ退屈日記」 私は映画監督としての伊丹十三しか知らないので、へ~っ、俳優だったんだあと。しかも、英語が堪能でヨーロッパで映画にでようとしていたりする。チャールトン・ヘストンなんて名前が出てきたり、他にも色々な名前が出てくるけれど、残念ながら私はよく知らない。でも、きっと知っている人は知っているのだろう。(変な文章)

 映画の話はおいておいて、この「ヨーロッパ退屈日記」はなかなか面白いエッセイです。ちょっとピリリと辛いのね。ユーモアもあるし、日本を皮肉ったり(特に英語表記に関してなかなか伊丹十三はこだわりがある)、イギリスやフランスやイタリアの伊丹さん流小話みたいなものがある。でも、全体的に日本に厳しいかな。あと、ふ~ん、そんなにお金持ちだったのねという感じ。特に物へのこだわりがね。

 "大英帝国の説得力"という項では、婦人が嫌がる犬を引いて無理やり横断歩道を渡った。ところが、犬は今度は無理やり婦人を引いて、横断歩道を戻ってしまった。すると、婦人は犬に向かいあってしゃがみこみ、どうも察するに、「いつもはこの道をまっすぐ行って左へ曲がって家に帰る。今日は、この横断歩道を渡ってから右へ曲がって家へ帰ろうというだけの話だ。結局、同じことではないか」と、言い聞かせたようである。すると、犬は、「先に言ってよ」とばかりに、また横断歩道を渡り始めたと。

 そんな、外国小話。バナナを耳につめている紳士の話とか、中途半端なミドルクラスぶっている日本人批判とかね。伊丹さんってこういう人だったんだなあと。ちょっと気障で、ユーモアが好きで、斜に構えている感じ。私は好きです。

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