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2011年10月に作成された記事

2011年10月30日 (日)

低血圧なのだ

 もうね、辛かったの~けだるいっていうか、全身倦怠感ってやつ?低血圧のつらさって、なかなか分かってもらえないのだが、いやあ、先週末は辛かったわ。休むとまた自分が追い込まれるので、朝風呂入って、栄養ドリンク飲んで頑張りました。でも、食欲ないし、シャキッとしないし、辛かったわあ・・・

 S.J.ローザンの「シャンハイ・ムーン」を読んだら、本格ミステリーが恋しくなり、ついついピーター・ラヴゼイ「漂う殺人鬼」を読み返した。やはりいいです。いろいろな優秀な人物が出てくるけれど、現場主義&経験値に基づくダイアモンド警視の判断って、やはり説得力、納得性がある。そして、失敗を後悔するな、悩んでいる場合ではない、挽回するにはどうする?救うにはどうする?これだね。

 と、言いつつ、今日の話題は宮部みゆき「おまえさん」。ついに出ました、井筒平四郎&弓之助&おでこの活躍する時代物ミステリー。まあ、厚いこと、びっくりしました。前作「日暮し」が上中下の3巻でしたが、その3冊分が上の1巻に該当するくらいの厚さで上下2巻です。

 今回は、袈裟がけに切り捨てられた死体が3体。いずれも同じ切られ方である。そして舞台は、生薬屋。過去のある因縁が、今、よみがえってくる。これを、厄介者扱いされている、ご隠居の本宮源右衛門、そのご隠居を預かっている同心の間島信之輔、そして前作、前々作でもおなじみの政五郎。この3名が重要な役割を演じる。もちろん、弓之助、おでこも登場するし、弓之助の見事な推理も冴え渡る。だが、しかし、弱いのは人間の心なのであった。

 相変わらず、宮部さんの男と女の性っていうか、因業というような物を感じさせる話です。また、怖いのは人の心ってやつかな。救いなのは、平四郎が決して白か黒かを決着させず、ひたすら「正義」を振りかざさないところ。グレーも必要だということがわかっている点。それでいながら、本質がわかっているところかなあ・・・全然、スーパーマンじゃないんだけど、いいのだよね、平四郎。脱力系で。

 いつまで続くのか?平四郎シリーズ。そして、弓之助は養子になるのか?

 そして、私の低血圧も少し改善するのか?頭痛、肩凝りも低血圧で起こるっていうから、嫌になっちゃう。そりゃあ、こんなに肩も首もガチガチになるわけだよ。勘弁してほしいわ。

2011年10月23日 (日)

シャンハイ・ムーン

 久しぶりでした。S.J.ローザン。前回の「冬、そして夜」が2002年。今回の「シャンハイ・ムーン」"The Shanghai Moon"は2009年(アメリカでの出版ですよ、もちろん)。何と7年も経過していました。

 家族が多く、家族にまつわる事件も登場していたリディアに比べ、孤独で過去がありそうでありながら多くを語らないビル。そのビルの初めての家族にまつわる事件であったのが、前作「冬、そして夜」であった。ビルはしばらくリディアからも誰からも姿を消していた様子。ある別の探偵、ジョエルがリディアに協力を依頼するのが、事件の始まり。第二次世界大戦中、上海に逃げたユダヤ人難民にまつわる宝石がこの事件の中心であった。だが、ジョエルが殺され、事件の様子が変わってくる。

 意外とビルが簡単に姿を現すのが、ちょっと拍子抜け。そして、やはり元気が無さそうなのが気になる。(以前のような軽口がないし、リディアを口説かない。また、日本人としては、日本占領下の中国が舞台であることが、文章を読むたび心が痛む。謎解きとしては、過去の手紙や日記で見えてくることがあるのが、少々物足りない。だが、それでもリディアの鋭さ、なにかがおかしいことに気づき、それが真実に近づいていくことがさすが。

 ある意味主人公であるロザリーへの感情移入や、当時の上海にまつわる人々の微妙な感情、S.J.ローザンはすごい人だなと思わされます。ミステリー作家であるが、見事なストーリーテラーだなと。

 ただ、今回は登場人物が多くて、少々混乱しました。即座に2回目読み返したくらいです。でも、読み応え感、たっぷり。10作目が2010年に出ているらしいので、翻訳待っています。

2011年10月16日 (日)

ソフィーその2

 ちょっと冷静になってみました。って、またしても「ソフィー」"Sophie"のことです。随分こだわるわね、あんた。(時々オネエ言葉が出てしまう。)

 ソフィーがマシューからもらったアンモナイトの化石を取り出して言う、「こんないいもの、わたしからあげたことは一度もなかったんじゃないかな」 これがすべての答えではないかと思うのだ。二人の世界が終わる時に、ソフィーは同じくらいいいものをあげることに決めた。けれど、それはあまりにも重たすぎて、マシューは受けとめることができなかった。だから、マシューは監禁をして、知らなければならなかった。その二人の世界はなんだったのか?マシューは本当にソフィーが好きだったのか?ソフィーはマシューを好きだったのか?マシューは知らなければならなかった。それとも?マシューが一緒に行かなかった・・・これがマシューの重荷だったのか?

 とにかくだ、こんなに様々な解釈を考えることのできるミステリーは、久しぶりですよ。読み応えありすぎです。

 さて、そろそろ、新たなメガネ作ろうとメガネ屋さんに行った。そしたら、なんとビックリ!今のメガネのレンズが左右逆だった。。。。焦点もズレているし、左右では乱視の度合いも違うので、不都合だったはずですよと。え~って、だって、このメガネ、もう、4年はかけているよ!最近は、かけ心地が一番良いので、このメガネばかりかけていた。直してもらったら、視界がとても開けた気がする。気をつけましょう、皆さん。やはり安いメガネ屋は駄目かしらね?

 いやいや、驚きでしたね。だから老眼?も進んだのかしら?測ってもらったが、まだ老眼、初期だということなので、とりあえず老眼対応はなしで。

2011年10月15日 (土)

ソフィー

 今朝は9時前に目が覚めた。朝といえないかも・・・だが。で、読んでしまった。ベッドに入ったままで。昨日、通勤途中でちょっと読んで、これはかなりイケル本だと思っていた。でも、昨夜は無性に眠くて、読めず。だから、朝、読んでしまった。

 「ソフィー」"Sophie" ガイ・バート(Guy Burt)

 話は監禁されているらしき女性と、監禁している男の会話から始まる。どうやら、男はマシュー、女はソフィーらしい。そして、話は一気に遡る。子どものころのマシューとソフィーの話である。過去の話はマシューの視点で語られる。そして、現在は監禁されている「わたし」の視点で語られるのだ。過去と現在が交錯して話は進んでいく。

 マティー(マシュー)とソフィーはとても仲の良い姉弟であった。父親はほとんど家におらず、母親は心がここにない。どうやら、別居しているのか?それとも何か事情があるのか?具体的には語られないが、普通でない状態であるのは確かである。けれど、マシューが描き出す幼い時代の二人の生活は、楽しそうであり、しっかりもののソフィーは、あやうげででもかわいい弟のマティーの面倒をみていた。親たちがどうしていようと、彼ら二人には関係なかった。それくらい、二人の世界は確立されていた。

 二人の世界は本当に魅力にあふれていて、マシューの語りにはつい引き込まれる。子ども達には絶対必要な、秘密の場所。二人だけの遊び、ソフィーが書き込んでいる暗号のノート。ソフィーは驚くほど頭が良く、様々な知識を一人で得て、幼いマティーに教えていく。

 だが、時々不思議なことが見え隠れする。何故か、ソフィーは自分の頭の良さを隠そうとする。IQテストを受ける時には、練習を重ねてちょっと賢いくらいの125のスコアが出せるようにする。自分で本を買って試した時には、180であったのに・・・ソフィーは言う。目立たないのが良いのだと。頭が良いと知られると、余計に勉強しないとならないのだと。

 マティーがいじめっ子たちに泣かされた時も、ソフィーは巧みにいじめっ子を排除する。だが、その方法は少し極端に思われる。さらに、二人だけの世界を楽しんでいるはずのソフィーが、他人の目に付きやすい納屋を改造して、隠れ家にする。そして、案の定、二人の少年が登場する。何故、ソフィーはそんなことをしたのか?

 その会話の間、監禁されているソフィーは、どうすれば自分が助かるのか?必死で考える。間違った発言をしてはいけない。マシューは時々問いかけるから。「姉さんはどうして○○したの?」

 そして、ある事実が見えてくる。

 だが、そう、そのままの文章を信じるべきなのか?ソフィーがすべてを終わらせたのか?ソフィーは確かに信じられないほど早熟で、賢かった。だが、二人の世界は何にも代えがたかった。だから、幕を引いたのはソフィーなのか?

 でも、一方でマシューに疑いを持ってしまうのだ。マシューではないのか?文章には書かれていないけれど、マシューが終わらせたのではないのか?どうしても変えたくなくて。二人の世界を崩したくなくて・・・ガイ・バートは巧みにそれをほのめかしているのではないか?

 私は疑ってしまうのだ。そして引き込まれてしまっているのだ。もしかすると、私は物語の中に入り込みすぎているのかもしれないし、結局はまだ読みきれていないのかもしれない。シャッターアイランドのような割り切れなさと、不安を残して話は終わってしまう。だが、私はどこかでわかっている、私の感じ方が正しいのだ。

2011年10月 2日 (日)

本、いろいろ

 去年、塩野七生さんのローマ人の物語、「キリストの勝利」の文庫版が出て、これでローマ人の物語が終了した、と思っていました。ところが、先日「ローマ世界の終焉」が出ていた。これで本当の終了だった。ただ、前にも書いたけれど、国が成長していく過程、これが最も面白いのよね。下り坂に入り、転落していく姿はあまり・・・そして、塩野さんはどちらかというと指導者、というか国のリーダーに焦点を当てていたので、ローマ帝国が崩壊しつつある時の指導者にはまったく共感できず(あたり前だが)、興味はもてず。市民たちはおそらくかなり不幸だったと思うが、そこには焦点が当たっていなかったので、淡々と終焉を迎えた。

 コミックスも買いました。「グーグーだって猫である 6巻」始めは映画化に伴って出版されたと思われる文庫版を買いましたが、いつまで経っても新しい版が出ないので、単行本へシフト。まあ、大島弓子さんがわが家に猫を向え入れることといったら・・・。どこまで行くんだ?と思っていましたが、グーグーがついに死んでしまいました。2011年の4月に。おそらく、唯一、大島さんがペットショップで買った猫ちゃん。だって、グーグーの後はすべて野良だったり、拾ってきたり、出入りの野良猫ちゃんが産んだ子猫だったり・・・

 最初の猫のサバが死んでしまってから、ペットロス状態だった大島さんを癒してくれたグーグー。その後、いろいろな猫たちが大島家にやってきたけれど、どの猫にも友好的だったグーグー。その猫がおそらく寿命を向かえてしまった。そこで、「グーグー・・・」は終わりです。大島家の猫はこれからもどんどん増えるでしょう。でも、きっかけとなったグーグーはもういないので、エッセイとしては終了。他人の猫なのに、一時代が終わったような寂しさ。

 あとは、ヘレン・マクロイ(Helen McCloy)のミステリー。どちらかというとサイコミステリー的ですが、面白い。「幽霊の2/3」、「家蠅とカナリア」、「暗い鏡の中に」、「殺す者と殺される者」を、最近読みました。たぶん、ミステリーと考えると、「暗い鏡の中に」か「家蠅とカナリア」が優れているのでしょうけれど、私は「殺す者と殺される者」”The Slayer and the Slain”が好きです。読者はたぶん途中でこのミステリーのトリックがわかってしまう。けれど、この話は謎解きというよりは、主人公が感じる戸惑いと、少しずつ主人公が真実に近づいていく、その心理状態にサスペンスが感じられて、なかなか面白いのです。そして、主人公ハリーになんとなく「いとおしさ」を覚えるのです。

 昨日は久しぶりに大きめの本屋に行って、海外ミステリー中心に本をまとめ買いしたら、6,800円でした。ショック!!でも、SJ・ローザン新作だからなあ・・・買わないわけにはいかないのだ。

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