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2015年2月 7日 (土)

やさしさの時代

 非常に残念である。湯川さん、後藤さんは命を奪われてしまった。こんなこと言うと怒られるのかもしれないが、少しくらいならお金を払ってでも、助けて欲しかった。そのくらい命は大切なのではないかな?

 非道なテロには厳正に対応するとか、テロは許さないとか、言葉でいうのは簡単だ。もちろん、命を奪うのはよろしくない。ただ、イスラム国がそうなってしまった理由。何故?そんなことをしてしまうのかの理由。それを考えないと簡単には解決しないだろう。イスラム教の信者だから人を殺す、なんて、そんな訳ないのだから・・・ 何が根本問題なのか?欧米の正義や常識だけで、何かを裁いた。それが遠因となっていないか?

 森毅さんが中学生向けに書いた書籍「まちがったっていいじゃないか」 1981年に出されたらしい。(あら、私が中学出たくらいの頃だ) 

 この最初に言っている。そのころ、やさしさの時代と言われていたらしく、そこに皮肉の口調があるのが、気になると。りりしさを求める声があるのではないか?と。

 森毅さんは言う。ファシストは悪人だから、ファシストになったのではない。むしろ善人だったのだと。澄んだ瞳でファシストは現われる。人間はりりしさにあこがれる。人間が理性で判断していれば正しい道を進むかというと、それは甘い。人間はその場の情感に左右される。そして、そのムードに流されて行ってしまうのだ。で、りりしさに従う方が楽なのだ。

 一方、やさしさは難しい。お互いの情感を探り合い、また複雑な情感の絡み合いをときほぐしながら、進んでいかないとならない。だからこそ、やさしさを大事にしてほしい。

 人は他人をだますには手練手管を必要とするが、自分をだますのは簡単にやってのける。自分をだまさないようにすることの方が気のはること。

 今の子どもは自分のことしか考えないというが、自分のことを考えるのが実は難しいこと。自分を大切にする人は、他人を粗末にしない。自分を本当に大切にする人は、社会を粗末にしない。

 と、森毅さんは言っている。1981年の言葉であるが、今の時代になんとマッチしていることだろう。真理なんだろうね。

 子ども達は自分を大切にすることを忘れ、大人たちは「りりしさ」に憧れている。

 自分を見つめることは難しい。やさしさを保ち、自分にも他人にも気を遣うのは難しい。

 でも、それが大切だし、やらねばならないことなのだろう。そうすれば、「人を殺してみたかった」なんてことにはならなかっただろう。

 自分を大切にしよう、そして、他人を思いやろう。そうすれば、何かが変わるかもしれない。勇ましく「テロには屈しない」と、言ったところで、彼らは自分を「テロ」なんて思っちゃいないのだから、何も変わらない。彼らには彼らの事情がある。

 だからと言って、人を殺してはいけないけど・・・

 だけど、ただ「非難」したって解決しないのだろうと思う。お互いに思いやりたいものだ。そうしないと、後藤さん、湯川さんが浮かばれない。

 それにしても、森毅さんは数学者だけど、心がわかっているね。1928年生まれ、2010年没。

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