心と体

2009年4月 5日 (日)

入院体験記その2~骨髄移植体験記(1)

Image048_3  オーリーがご飯を食べなくなった。2,3日前にニャーと珍しく大声でないて、かなりもどした。その後もまた胃液まで吐いてしまった。それから、ご飯を食べない。昨日、病院に連れて行き、年だから腎臓機能が低下していると。今日も日曜日だけれど、診察してもらった。食欲が戻るまでは毎日通院要。でも、もう厳しいかもしれない。グーグーの先代猫のサバと一緒かも。猫は腎不全で亡くなる場合が多いらしい。

 さて、昨日の続きだ。そう、2泊3日ではじめての入院を経験した1ヵ月後。手紙が届いていた。

 骨髄移植推進事業団からの「重要」、「至急開封してください」とかかれている封筒。そういえば、私は骨髄バンクに登録していた。どうして登録したんですか?とよく聞かれるが、特別な理由があったわけではない。「臓器提供意思表示カード」も持っているし、できることはしようかなというくらい。しかも、骨髄バンクの登録は献血ルームでできるということを知ったので、じゃあ登録しようっと。

 しかし!登録しようと献血ルームの人に声をかけたとき、「あっ、失敗した」と思ったのだった。その人は男の人だったが、いかにも面倒くさそうな、しかも上から目線の「役人」って感じであった。「冊子をちゃんと読んできました?」と面倒くさそうにしかもえらそうに聞かれた瞬間、私の天邪鬼モードにスイッチが入った。「冊子ではなくインターネットで・・・・」と言いかけると、それをちゃんと聞かずにその「役人気質男」(公務員の皆様ごめんなさい。「役人気質」って公務員否定ではなく、よくいる杓子定規で自分の仕事の枠を決め込んだ、融通利かない気質の意味です。)は、私の話をさえぎり、「いや、ちゃんと冊子も読んでいないようだと、登録できません。」とのたまった。(なんだ、お前は。私はお前なんかには話はしないぞ!)と心に決めた私は、「わかりました、またきます」と、その日はあきらめ、翌日また行った。次の日応対してくれたのは女性で感じがよく、ビデオなど見せてもらってスムーズに登録は進んだ。ビデオを見たら、血液を採って終了。簡単だった。昨日の「役人気質男」の姿がチラッと見えたが、こちらには出てこなかった。出てきたら、ただじゃおかないからな。

 それが、何年前かしら?忘れていたわけではないが、その重要性を主張した封書が届いた時に思ったのは、「おおっ!適合したのか、適合することがあるんだ、どうしよう?」って、ねぇ、どうもこうもないよね、自分で登録しておいてさ。

 想像通り、「LHAが適合した患者さんがいる」と、1週間以内にアンケートに答えて送り返してくださいと。アンケートは健康状態とか、まだ提供意思があるかとか、いつくらいなら検査に行けるかとか、詳細に関するものであった。取り急ぎ、すぐ回答した。

 その時、実は仕事でちょっとトラブルがあって超多忙だった。アンケートに回答後、コーディネーターから連絡があるということで、自分の個人携帯の番号を伝えておいたが、連日23時すぎないと帰宅できなかったし、なかなか調整ができず。それでもなんとか、骨髄移植についての説明と、検査の日程が決まった。病院の先生もボランティアだそうだが、わかりやすく説明してくれた。私自身が勘違いしていたが、骨髄移植というのは、「手術」するというよりは、規模の大きい「献血」という感じ。骨の中を流れる血をかなり大きな注射器で採血する。で、その骨髄液を移植し、患者さんの血を入れ替えるというようなこと。少々乱暴な表現ですが、そういうことみたいです。別に、メスを入れるわけではなく、腰のあたりにでっかい注射器を2箇所くらいから刺して、血を採るってわけ。

 リスクに関しても説明はあったが、ドナーの死亡例は日本ではないし、多少事故はあったが、1%以下だった(この辺のデータは、ちゃんと骨髄バンクに聞いてくださいませ)。その統計をどう取るかはそれぞれの人次第だが、私はリスクが低いと判断した。

 適合者は5名くらいはふつういるらしく、そのドナー候補5名の詳細検査結果で、患者さんの担当医がこの人からもらおうと決めるらしい。私は説明聞いた時の先生に、健康だね~良いね~と言われたので(お酒は飲めないし、煙草もすわないから、どう考えても良い「血」のような気がするし)、可能性が高いかなと思っていたら、結局指名された。この時点ではまだ断ることもできるが、家族含めて面談をし、最終同意をすると後戻りはできない。何故かというと、患者さんが準備に入るのだ。準備に入ると患者さんは移植を受けられないと、死ぬしかないということになりかねない。コーディネーターの人は家族の同意が得られるかということをやたら心配していたが、うちの親が反対する可能性はまずないと思っていた。我が家は極めて不干渉な家族である。自分のことは自分で決める。よほどの理由がない限り、自分のことを自分で決めて反対されることはない。だいたい、たとえ反対されても、納得できる反対でない限り、従うこともないし。

 その後は手術日の決定と、手術に向けた検査や自己血をとることとなる。実際の移植は説明を受けた病院ではなく、別の病院となった。しかし、実を言うとコーディネーターさんとの関係で、私はちょっとストレスがたまった。私は「コーディネーター」というからには、いろいろと相談に乗ってくれたり、調整をしてくれるのだと思っていたが、実際は彼ら、彼女らは、まずは移植に関してあくまでもドナーの自発的行為であり「押し付け」ではないことを確認すること、検査日の連絡(調整ではないぞ、あれは!)、ドナーの安全についての確認が主な仕事なようだ。どちらかというと、第三者機関なのね。なんていうのだろう?どうも私はそのコーディネーターさんとは合わなかった。

 ・・・またまた続く・・・・・

|

2009年4月 4日 (土)

入院体験記その1

 私はかなり健康体である。低血圧だったり、低体温だったりはするが、特に問題はない。朝起きるのがつらいのと、朝は相当に機嫌が悪いだけである。特に月曜日の朝はかなり低テンション(単に仕事をしたくないだけかも)。なので、大人(っていっても本当に大人になっているのか、今でもわからないが・・・)になるまで入院したことはかった。そう、約40年入院したことなかったのに、数年前のある1年間に数日間ずつだが、2回入院した。

 最初は大腸ポリープだった。まあ、手術っていってもね、ファイバースコープで取るって感じで、大したことではなかった。何がつらいかって、下剤!!!2リットルですよ、2リットルを飲むの。しかも2回も!!1回目は内視鏡検査のため。検査は午後だったけれども、8時までに2時間で飲まないとならなくて朝6時に起きて飲みだした。1リットルまではまあなんとか飲めた。しかし!1リットルを過ぎてからは、だんだん吐き気がしてきて飲めなくなってくる。もうダメだと思い、「2時間過ぎても飲めない時は電話ください」と書いてあったので、病院に電話をした。しか~し、回答は冷たかった。

 「時間過ぎても良いので頑張って飲んでください。」

 なに~~~!!何のための電話なんだ~~?仕方がないから頑張って飲みましたよ。10時くらいまでかかったわ。で、検査の結果ポリープが発見され、それをとるために2泊3日で入院しました。この時ももちろん2リットルの下剤を飲みましたが、やはり1リットル過ぎたあたりから、つらい!そして、この時は10時までに病院にいかないとならなかったので、便が透明で水っぽくなった段階で、飲むのやめちゃった。0.5リットルは残っていた。これでいいのかなあと少々不安であったが、問題なく手術は終了。ああ、良かった。これが初の入院で、2泊3日であった。そして、なんとその1ヶ月後にある通知が来たのだった。(って、疲れたので、続きは明日だ。)

|

2009年1月24日 (土)

江原さんのうそつき!

 「あなたには時間がある」って、言ったじゃん!彼女が聞いた時、そう言ったよね。彼女は逝ってしまった。あれから2ヶ月と18日。彼女はもう耐えられなかったんだ。だって、すごっく、頑張ったんだもん。泣き言は言わず、痛みにずっと耐えたんだ。

 何故なんだろうね。普段から、決して何事も他人のせいにすることなく、自分が我慢すれば良いと絶対に文句を言わなかった。そんな人がどうして、そんなに早く逝かないとならなかったんだろう。病気になった後も、たいしたことない、それほど辛くないって、言っていた。そんなわけないよ。辛かったんだよね。だから、もう、ゆっくり休んでね。

 もっと時間が欲しかったね。江原さんのうそつき!時間って2ヶ月18日のことだったの?そうなら仕方がないけれど。でも、もう少し時間が欲しかったよ。早すぎたよ。

|

2009年1月15日 (木)

医療を考えるその2

 そう、びっくりだったけれど、今日の新聞に、医者とがん患者の意識の違いが載っていた。この間、ブログに書いたばかりだったから、う~んと思ってしまった。

 要は、医者はもう助からないとなったら、残された時間がどのくらいなのかを意識したり、会いたい人に会っておくべきと考えるに対し、患者側はできるだけ生きるための努力をしたい、また死を意識せずに普通に生活したいと考えるって調査結果。

 でも、そうだよね。自分はあと少しで死ぬんだなんて考えながら生きたくない。やり残したことをやる?どんなこと?もう、死ぬとなったら、やり残したことなんてどうでもいいような気もしてしまうなあ。何か使命を持っていたら別だけれどさ。でも、そんな自分しかできない使命なんてないし、自分ひとりがいなくなったからといって、世界情勢は変わりはしない。

 お医者さんや看護師さんは、日々「死」に直面しているから、そう思うのかな。それはそれで合理的だけれど、人の心としてはどうなのだろうか?

 医者、看護師のほかに心のケアをする人も必要だと思うなあ。

 定額給付金もいいけどさ、麻生さん。世論が薄く広くお金を配布することに懐疑的になっているのに、定額給付金のほかにも景気対策はしている、なんて言っても回答になってないよ。薄く広くのお金の配布そのものが無駄では?という指摘なんだから。少し、医療とか教育とか、介護とか大切なことにお金を振り向けるようにしては?

 本当に考えてほしいなあ

|

2009年1月12日 (月)

医療を考える

 友人が入院中である。しかもがんである。そして、緩和ケアの病院に入ってしまった。彼女は複雑だと言った。周りがもう皆穏やかな死を向えようとしている人たちという環境にいると、自分もそうなの?それを覚悟しないとならないの?

 周りは良かれと思ってすすめる・・・だから、それが悪いとはいえない。でも、事実上、「あなたはもう助からないよ!」といわれているも同然な状況に、あなたは耐えられますか?映画や小説やテレビでは主人公は耐えたり、美しいことが進行しますよね。でもあれは、いわばきれいごとであり、理想でしかない。もしくは、本当にすごい人のお話。一般Peopleはどうすればよいの?

 がんでお母さんを亡くした別の友人が言った。日本は通常の医療と緩和ケアがまったく分かれていて、「緩和ケア=助からない」となってしまうけれど、米国ではがん治療と緩和ケアは同時進行だとテレビでやってたと。確かにそうあるべきだと思う。

 患者と一緒に治療方法を考えると言ったって、もう治療方法が無いっていうのを本人に向かって直接言うのはどうかと思う。それをいきなり受け止められるだろうか?確かに危険な治療を選択するか、もしくはあきらめるか?それは選択であるし、一緒に考えることであろう。しかし、もうなすすべがありませんといわれたとき、どうすればよいのだろうか?その受け止め方や、そのケアも考えてこそ、言うべきではないだろうか?意外に人間は精神力で持つのである、その精神力が失われたら?

 医療は今後変わらないとならないのでは?そういう教育はなされていないのだろうなあ。でも、これからは治療とか技術の追求だけではなく、人の気持ちという面にも目を向けないとならないのではないだろうか?本当に病は気からという面はあると思うのですよね。

|